〈第四楽章〉
タイに住み始めた頃、下宿に近かった「大理石寺院」に何度か足を延ばし、お坊さんの読経に聞き惚れてしまったことがある。数十人のお坊さんによる読経は、かなりの臨場感があり、何か荘厳な気持ちにさせてくれた。
タイ語の勉強にも良いだろうと、意を決して剃髪しようと思い立ち、パーリー語の「お経」の勉強を始めたことがあった。下宿のおばさん等にも相談したが、それぞれ協力してくれるとのことで心強く思っていた。
下宿先に当時のサラブリー県知事(その後内務次官に出世したのには驚いた)が、遊びに来たことがあった。私の剃髪の話を聞くなり、その知事は吹き出してしまい、「それじゃ、酒が飲めて、女のいるお寺を捜す必要があるな。サラブリーにもそんなお寺があるかもしれないな」と、軽口をたたき、皆の肴にされて笑われてしまったことがある。
残念なことに、剃髪決意の直後、日本から超VIPのタイ訪問の知らせが入り、その準備に駆り出されてしまい、剃髪の話は迷宮入りしてしまった。「シュトルム・ウント・ドラング」の青春時代は、翻って見れば反省の時代でもある。
あの時、仏門に入っていれば、今頃はコン・ディップ(生身の人間)ではなく、良くスック(熟れる)した円熟味のある人間(男)になれたのではないかと、後悔ばかりである。
最近、テキストの付いた高僧の読経のテープをタイの友人になんとか探し出してもらうことができた。お寺に行かずともテープで読経が聞けることとなった。そもそも、当時の剃髪したいとの願望は何処から来たのだろうか。
今思うに、剃髪して修行してみたいというよりは、お経を覚えてみたいという気持ちの方が強かったのではないか、そんな気がしてならない。
一九八四年の正月、東南アジアの華僑研究の大家と共にウボンラーチャターニーからメコン河にそってコーンケーンまでドライブしたことがあった。「タート・パノム」寺院にお参りした途中、お土産屋に立ち寄った。その店で、かの華僑研究の大家はゲーン(民族管楽器)を見つけるとそれを取り上げ、やおら吹き始めたのである。
大家の吹くゲーンは、お世辞にも上手とは言えなかったが、哀愁を帯びたゲーンの音は、メコン河の運ぶ風に乗り、遠く消えていった。ニューヨークにて、笙の邦人女性演奏家のコンサートを聞く機会があった。笙とゲーン、多分ルーツは中国の雲南省あたりなのだと思う。
雲南省にて貫頭衣を着て高床式住居に住んでいる倭族を、日本人の祖先と見る学説がある。雲南省の倭族を広義のタイ族の範疇の一つに入れることが出来るならば、タイ人と日本人の祖先は同一民族となるかもしれない。