ホーチミンの歌姫

「光陰矢の如し。されど手に弓はのこるべし。たとえ時は過ぎても、言葉はとどまる」長田弘

故郷の実家のすぐ後ろに教会があり、幼稚園に入る前からその教会の「日曜学校」に通い、賛美歌を歌っていた。

私はクリスチャンではない。でも、イースターの際の色付き茹で卵や、クリスマスの時のプレゼントを貰うのが楽しみで、そのアリバイづくりのために、けなげにも一カ月の内最低一回程度、日曜日になると教会の塀をくぐって賛美歌を歌いに行ったのである。

「諸人こぞりて」、「主、我を愛す、主は強ければ」。

今でも、幼年時に歌い込んだ賛美歌の歌詞が、何らかの機会に口に出てくることがある。

中学三年生の時、一年間混声合唱団に入っていた。その夏、NHKラジオの関東甲信越の中学校の合唱コンクールでは二位に入賞した。

当時、創刊されたばかりの雑誌「週刊プレイボーイ」を廻し読みしていた私とニキビだらけの同胞は、おたまじゃくしの音符より、カモシカのような素敵な足をもった女子団員のポニーテールばかりを見ていた。

合唱団の指揮者は音楽教師であり、「ベートーベン」という綽名あだなのついた音楽極道であった。

プラタナスの葉に夏の強い日が照りつける夏休み、音楽教室で僕達は、同じ楽章を何時間もかけて繰り返し練習したことがあった。反復練習により苦手を克服する。

時間をかけることを惜しまなければ、一つの殻を打破することが出来、ある程度の進歩が得られる。そんな何気ない人生の知恵をベートーベンは教えてくれたような気がする。

ベートーベンは、優勝を逃して無念の涙を流した僕達にと、コンクールに出品したテープをレコードにしてくれた。青春時代の貴重な記念品である。

「葡萄畑の葡萄棚の下で、葡萄の実を食べた。アーアアー」。

その合唱を聞く度に、合唱団活動を少し冷めた目で見つめ、一生懸命練習に打ち込むことのできなかった我が悪たれ時代を恨めしくも、かつ、情けなく思い出すのである。

高校時代は、グループサウンズが全盛時代であった。高校時代の音楽の先生はちょっとはずれた先生で、音楽の授業でほんのちょっと歌を合唱した後は、すぐにクラシックのレコードをかけてくれ、学生に睡眠時間を与えてくれた。

それは学生にとって至福の時間でもあった。

「先生の志の高さに対し生徒は私淑する」。