「卑弥呼(日巫女)は、鬼道に長(た)け、大衆を惑わす」

『魏志倭人伝』には、卑弥呼の行動の一部が垣間見える。女王になる前から、特殊な方法で太陽観測をし、稲作に必須の暦を作り、知られた女性であった。各国の支配者である男子の王は、長年の戦いに明け暮れて国々は疲弊していた。

そこで、特殊な能力(太陽観測による農暦を作る)のある女子を共立し、女王に押し上げた。その結果やっと戦いが止み、同盟国の稲作も暦のお陰で生産が増え、平和な邪馬台国が出現した。

その稲作に必須である暦作りのノウハウを邪馬台国の同盟国に提供し、大いに国々は、豊かになったと考えられる。

古代においては、天皇は日和見人、聖(日を知る)すなわち暦の支配者であった。

(1)二三九年卑弥呼は魏に初めて朝貢した。

(2)それから八年後の二四七年三月二四日日の入りの皆既日食、二四八年九月五日日の出の皆既日食が続けて起こる。

(3)二四七年三月二四日の日食は北九州地区では、太陽の死を意味する衝撃的で壮絶な皆既日食となった。奈良ではそれほどでもなかったといわれている。