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四邪馬台国の謎を解明する二つ目の鍵は神籠石(こうごいし)
邪馬台国の謎の解明は神籠石にあり。
御所ヶ谷・神籠石は弥生時代後期。
天文観測による農暦作り遺!!
1 はじめに
学問というのは、知的要素を持ったものでなくてはならないと考えている。
既成事実としての、考古学、歴史学、史実、伝統的で正当な慣習などの具体的要素を基盤として、その上で推論を証明し、新事実を導き出すことが学問を大きく発展させると考えている。
特に史実の乏しい古代史、古代遺跡の場合、推理的考察を除いてその謎を解くことは不可能で、謎は迷宮のままとなり、学問の進歩はない。私は学者ではなく古代遺跡の研究に趣味を有する好学の士である。
例えば、紀元前八世紀のギリシャ神話「ホメロスの叙事詩」は単なる虚構であると考えられていた。
ところがドイツのシュリーマンはギリシャ神話のトロイ遺跡が実在することを証明し、「エーゲ文明」という世界的に重大な価値を掘り当てた功績は、世にいう「シュリーマンの夢」と呼ばれている。
私の推論する説が衝撃波となり、古代、上古代の敬愛する民が残した叡知のエネルギーを呼び起こし、「みやこ」の地域発展の起爆剤に転化することを期待している。
2 結論ははじめにありき
御所ヶ谷をはじめとする神籠石遺跡は、防衛のための朝鮮式山城説と霊域説とに大きく分かれ、最近の発掘で山城説が有力な定説となっている。
しかし、いつ、誰が、何のために造ったかは依然として謎のままである。私は前述の二説と全く異なる第三の説の検証結果を導き出すに至った。
私はそれを、「弥生人による天文観測と太陽神を祀る神殿を厳重に取り囲む磐境で神庭」と結論づけている。短く表現すると「日知りの聖地」説である。
世界各地に残る太陽観測のための太陽神殿であり太陽崇拝の遺跡と同等なもので、日本史の空白を埋める弥生時代後半の遺跡であると見ている。
この謎を解明することにより、未知の邪馬台国への道程が開く方程式の鍵が隠されていると考える。もっと具体的な結論を開陳しよう。
御所ヶ谷・神籠石はこの地で天文観測を行い、太陽神を祭祀し、稲作農業に必須な暦を作り、領民に時を知らせていた弥生時代の為政者の遺跡である。その根拠は以下の通りである。