7 福岡県苅田町の石塚山古墳の概要
石塚山古墳は古代海岸線の近くにあり、九州最大・最古の堅穴式前期の前方後円墳で全長約百三十メートル、後円部は、三段築造である。三世紀末から四世紀初頭の築造とされている。
【人気記事】JALの機内で“ありがとう”という日本人はまずいない
江戸時代の記録には十五面から十六面とされているが、苅田町の宇原神社に現存する全ては舶載鏡の七面である。所在地、福岡県京都郡苅田町富久一丁目苅田町役場に隣接している。
七面の鏡と素環頭大刀片は国指定重要文化財(宇原神社所有)である。
福岡県(旧豊前国)内の石塚山古墳七面の内六面が「天王日月」系の三角縁神獣鏡である。
大分県(旧豊前国)内の赤塚古墳から五面中「天王日月」系は四面出土している。
①苅田町文化財保護審議会委員によると、天理大学附属天理図書館が所蔵する石塚山古墳出土鏡等の書写図である『観古集』が存在するそうだ。
②『観古集』(第一冊)は庄屋銀助が見つけてから二カ月後の寛政八年丙辰六月傳寫は、原本香月氏によって書写され、『観古集』に収められた。
その結果、石塚山古墳の出土鏡が倍増する可能性が高くなった。同古墳出土鏡には、方形上に「天王日月」の文字を刻字した鏡式が六から七種にわたって八枚もあり、出土鏡の半数以上を占め際立っていることも判明した。
また注目すべき二振りの素環頭太刀(長さ三尺余り)が刃先を向かい合わせた状態で書写した図が一枚ある。
『魏志倭人伝』には皇帝から卑弥呼に下賜した太刀二本の記録と偶然符合し、かつ「天王日月」の鏡が出土鏡半数以上を占めることと考え合わせると、邪馬台国の謎が解ける可能性がある。
8 宇原神社に現存する石塚山古墳の七鏡の特徴
(注:本誌で紹介する宇原神社が所有する七鏡は全て国指定重要文化財で特別な許可を得て掲載)
①石塚山古墳一号鏡・三角縁獣文帯三神三獣鏡と二号鏡(22.4センチメートル)
同笵鏡で、「天王日月」を配列。京都府椿井大塚山古墳に一面、福岡市天神森古墳に一面、福岡県筑紫野市の原口古墳に一面、大分県宇佐市赤塚古墳に一面計六面が舶載の同笵鏡である[次ページ写真上段は一号鏡、下段は二号鏡(宇原神社所蔵、撮影は苅田町教育委員会)]。向かい合わせた状態で書写した図が一枚ある。