第一部 邪馬台国ははたして一国として存在していたのか

第一章 『魏志倭人伝』の分析

一 『魏志倭人伝』は何を伝えようとしたか

『魏志倭人伝』は、紀元三世紀(二二〇~二六五)頃、中国の陳寿(二三三~二九七)が書いた中国の正史の一つ『三国志』の中の「魏志東夷伝倭人の条」である。

二千八文字で当時の倭国の政治外交、社会秩序、風俗習慣、産物、地形、自然等が記されている。倭国は先史時代で、文字(漢字)で記した史書もないという時代で、「倭人伝」がその邪馬台国を解明する唯一の手がかりとなっている。

特に地名、人名は中国側が使用する蔑称が使用されており、一字一音の表記されており例として倭、邪、奴、狗、卑、夷などがある。

※『後漢書』東夷伝 笵曄(はんよう)(三九八年~四四五年)中国最初の国書

建武中元二(光武帝、五七)年倭の奴国が朝貢し光武帝は印綬の金印「漢委奴国王」を賜る。

安帝(一〇七~一二五在位)の永初元年、倭の国王帥升(すいしょう)(倭面土)が生口百六十人を献じる。

桓帝から霊帝(一四七~一六八)の間倭国大いに乱れ、たがいに攻伐し、歴年主がいなかった。共に一女子卑弥呼を立てて王とした。