10月1日(木)
妻に急逝された人の人生相談
一昨日29日、PET-CT検査のために、私は良子を病院へ送り迎えした。その際に売店で読売新聞を買った(私の定期購読紙は産経である)。
その中に下のような文章があった。
私は普段は[人生相談]的なものは余り読まないのであるが、今回はタイトルが目に飛び込んで来た。
妻が急逝 日々泣き暮らす(読売新聞[人生案内]2015年9月29日)
60代の男性。妻が急逝し、この先、どう生きていったらいいのか分かりません。
妻とは34年間、生活を共にしてきました。大好きな人でした。つらいとか悲しいとか、そんな言葉では言い表せません。恥ずかしいことですが、大の男が日々泣いております。
私はおしゃべりな小心者です。生前は毎日のように、どうでもよい話をしていました。迷っているときには、妻は「ばか、そっちの方がええよ!」などとアドバイスをしてくれました。
そんな会話が、今はもうできないのです。家の中にポツンと一人。ひと言もしゃべらず過ごしています。
幸い、葬儀など手続きは二人の息子たちがすべて代行してくれました。とても頼りになりました。
このように息子たちを立派に育て上げてくれたお母さん。妻であり、私の大好きな恋人でもありました。
人間の涙はかれることがないのでしょうか。この弱くてだらしない男にひと言、お願いいたします。(大阪・T男)
この相談に対して、出久根達郎という方が、非常に優しいコメントをしている。が、それは省略する。
この人に比べると、私はまったく得手勝手である。自分の都合で女房に「長生きしてくれ」と言っている訳である。
簡単にいうと、良子に先に死なれると「不便になる」ということだ。
私は、良子の作ってくれるものが一番おいしいし、良子と一緒に旅行するのが一番楽しい。
それが失われるのが辛い。と、あくまで自分本位である。
泣き暮らす、ということは私にはないと思う。しかし、生きるのがめんどくさくなる、それは、確実にそう
なると思う。
富士の「青木ヶ原樹海」という場所がいつも私の心にあって、もし良子に先立たれたら、三回忌を終えたあ
と、私はこの場所で行方不明になるだろう、というような妄想がある。
10月3日(土)
浅田真央
今日は庭の手入れをした。
小さな庭である。そこに良子がいろんな草花を植えている。
花壇と言うには何の整備も整理もされていない。
雑草と花が同居している。前に、雑草を除去しすぎると、結局、目的の草花も元気を失うことを発見した。
それ以来、手入れは最小限にしている。バッタやカマキリやてんとう虫がいる。トカゲも走る。蛇がトグロを
巻いていることもある。私はそれらのすべてが、ヤモリ君は勿論、ムカデ君も、可愛い。私がきらいなのは蚊
とゴキブリだけで、それ以外はハエも殺さない。蜘蛛などはそのデザインの見事さに、いつも見惚れる。
多くの虫や小動物が草を好む。だから基本的には、茫々と生やしてある。
ドクダミというのも、実は可愛い花である。
しかしいかにも繁殖力が強すぎる。これと、小笹。この二つは、間引いてやらないと、すべてを台無しにし
てしまう。
しかし私には〝雑草〟と「草花」の見分けができない。
「草花」と言っても、園芸種はほとんどない。多くは地方の「道の駅」で入手した。あるいは旅先の園芸店である。秋明菊、オカトラノオ、名前の分からない小さなスミレ、野紺菊、ホタルブクロ、ツリガネニンジン、イヌノフグリ、ウマノアシガタ、ミズヒキ、ユキノシタ、ナデシコ、フジバカマ、ハンゲショウ、シラン、ネジバナ、三寸アヤメ、ホトトギス、ホウチャクソウ、雁金草。
勝手に生えてきたものも多いのである。購入した土や腐葉土に潜んでいたのであろう。
大体が小さな花である。都会の園芸店では入手できない。買う人がいないから、商品にならないのである。
雑草と区別がつかないので、抜いてしまったり踏んづけたりする。ところが良子は、どこに何があるか、よ
く憶えている。そして草の名も、よく知っている。従って私が庭の整理をするときは、必ず良子に立ち会って
もらうことにしている。監視である。
雑草と私は書く。そうとしか書きようがないのであるが、「雑草という草はない」という昭和天皇のお言葉を、
私は美しいものと思っている。
今日も久しぶりに良子と一緒に庭の整理ができて、楽しかった。
しかし良子が途中でいなくなったので部屋を覗いてみると、疲れた、と顔色が悪かった。
私は後悔した。幸い、少し休んだら、もとに戻った。夕飯の支度をしてくれた。
夜は、浅田真央の出場する「フィギュアスケート・ジャパンオープン」の実況を見た。真央ちゃんは冒頭のトリプルアクセルを決めたことによって、見事な復活を宣言した。私たちは拍手した。
良子もがんを克服し、見事に復活してほしい。
10月5日(月)
丸山ワクチン
丸山ワクチンの治療開始には、必ず、本人もしくはその代理が医師の署名捺印した「治験承諾書」を持って日本医科大学付属病院・ワクチン療法研究施設を訪れ、約2時間の説明を聞く必要がある。受付は、月火木の9時~11時。私たちがT先生の「治験承諾書」を貰ったのが先週木曜日(10月1日)だったから、今日が最短だった訳である。
(「治験」とは、厚生労働省のサイトによれば、“人における試験を一般に「臨床試験」といいますが、「クスリの候補」を用いて国の承認を得るための成績を集める臨床試験は、特に「治験」と呼ばれています。” とある)
早くに行ったのであるが、より早い人がいて、受付番号は「3」であった。
そして発行された「SSM診察券登録番号」が、“399393” であった。
SSMというのは “丸山ワクチン” の治験薬としてのコード名らしい。売薬として認可されていないので、商品名は付けられないのである。良子はその、39万9393人目の、治験引受者であった。数字を見た途端、びびっと来た。診察券番号の399393は、3で割り切れる。「3」は、カトリックでは神聖な数である。三位一体の神という。
399393を個別に足すと、36になる。
36を3で割ると12になる。1+2=3
3と6を足したら9になる。9÷3=3
そして受付番号の「3」
私はこの数字の中に、神を感じたかった。
私と一緒に説明を受けたのは7~8名だったと思う。
あとで書類を配られるとき住所氏名を確認したので分かったのであるが、熊本、石川、愛知の方がおられた。東京、横浜は、各一人だった。治験を始めるには、どのような遠方であろうと、最初の一度は、本人もしくは代理人がこの場所に出席し、説明を受けなければならないのである。
説明の途中で、しくしく鼻をすする音がした。30代と思える若い男女の、女性の方である。夫婦と思うが、姉弟だったかもしれない。親族が、切迫した状態にあると想像できた。
父母だろうか。兄弟だろうか。
父母や、姉や兄であれば、私は泣かないような気がする。悲しみはするだろうが、まだ命のある段階で泣かないように思う。
弟だろうか、妹だろうか。
私はつい3日前、10月3日に送られてきた、S氏のメールを思い起こした。泣いたその女性を、S氏のお嬢さんのように思った。
S氏は、中1のお孫さんが甲状腺がんと診断されて、手術に向けて検査を受けていたこと、
そして、重篤との結果が告げられたこと、
既に転移したがん、あるいは多発性のがんが骨・血管・肺に見つかり、……云々、
手術をしなければ確実に近く命を失う、手術がうまく行っても完治は期待できない、祈ってほしいと、そのような悲痛な文言であった。
S氏は勿論、私の妻の現状を知らない。
すすり泣く女性を、その少女の、母親に重ねた。
説明を終えて、SSM、40日分を受領した。
終えたのは11時であったが、次の受講者が数名待っていた。日に2組が予定されているようであった。
私は会社事務所へ寄り短時間作業して、帰宅した。
良子を乗せてT医院へ行った。
T医院についてはこれからも書くことがあるだろうが、興味の持てる医院である。
まったく混んでいない。今日も待機患者はいなかった。私たちが話しているとき男性が一人入ってきて、その人を先生は診察室へ入れ、先生も消えた。しかし5分ほどで診療は終わり、先生自らクスリを渡し、会計をした(つまり医院には、先生だけしかいなかった。診療、投薬、会計、全部一人である)。
医院そのものが、そういう造りである。
患者側からの診療室へのドアはあるが、先生側の診療室、クスリ棚、受付(会計)窓口は “ツーツー” で仕切りもない。患者が診療を終え出てきたときには、先生はクスリを持って、会計機の横にいるのである。
造りがこうであることは、隆盛していた医院がサビれた、のではない、ということだ。最初からそのつもりで作っているのである。商売気がない。
先生は私たちに色々質問した。「がんと確定しているのか」と訊ねた。
「確定とは告げられていないが、確実と聞いている」
「がんと確定してから射ち始めたらいいのではないか」
「早く射ちたいです」
「どうせ効かないし、副作用もないとのことですから、それじゃあ射ちましょう」
ということで、記念すべき第一針が良子の腕に刺さった。
この日、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉が大筋合意した。
また、北里大特別栄誉教授の大村智氏へのノーベル生理学・医学賞授与が発表された。