「雛菊ちゃん、そんなのひとことも言ってなかったのに……」

「家柄が家柄なので自分のことは話したがりませんからね。全て我々が悪いんですが……」

「鬼塚さんは今でもヤクザなんですか?」

「何度も辞めようとは思いましたが、あいにく俺はこの世界しか知らない不器用な男ですから、今さらお天道様に顔向けできる職に就いたところでどうなるか……。辞めたところでどのみち五年間は暴力団関係者とみなされる法律もありますし」

いわゆる五年ルールのことである。

この条項は暴力団を離脱してもおおむね五年間は暴力団関係者とみなされ、組員同様に銀行口座を開設することや自分の名義で家を借りることができない。もちろんヤクザだった過去を隠して履歴書や経歴をでっちあげると虚偽記載となる可能性があるため『ヤクザを辞めました。私は今日から一般人です』とはいかないのだ。

「元ヤクザの行きつくところなんて決まってます。ここのマスターなんか相当運がいいほうですよ。元ヤクザがおおっぴらに喫茶店を経営するなんざ、普通はあり得ませんから」

葵はチラリとカウンターのほうを見た。真面目そうな顔でドリップしている姿からは元・暴力団員の面影すら感じない。

「お嬢と仲良くしてもらってる立場でこういうことを言うのは心苦しいのですが、あなたはもう我々とは関わらない方がいい」

「そんな突き放すようなこと、言わないでください……」

「あなたの為に言ってるんです」

ふいに葵の記憶が刺激された。自分もかつて同じようなことを言われた気がする。あなたの為に言っている、とは都合のいい大人の逃げ口だと反発したくなったことも朧げだが思い出せた。けれどもいつ、誰に言ったものだったか。

「葵さん、どうされました?」

「あ、いえ……。とにかく私、明日も雛菊ちゃんと会ってみます」

しかし葵が轟雛菊という少女と再会することは二度となかった。

*

電気を消した自分の部屋で雛菊はだらしなくベッドに身を投げ出し、教科書を葵に見られなくて良かった、とホッとしていた。でも、それ以上に見られたくないモノを見られてしまった。知られたくないことも知られてしまった。

「また、なくなっちゃった……」

雛菊には学校で安寧の場所が存在しない。休み時間にトイレへ行くのでさえ警戒を解けない。以前、用を足している最中に頭からバケツで水を掛けられたことがあるからだ。そのため今は遠くても教員用トイレを使っている。ただ、教室を空ける時間が長くなればなるほどリスクも増える。

席について次の授業の教科書を開くと嫌でも目に飛び込んでくる落書きの数々。それもただの落書きではない。罵詈雑言、誹謗中傷の詰め合わせである。

次回更新は10月31日(土)、11時の予定です。

 

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