「他人の眼」とは、例えば、北野氏の場合、中古の軽自動車しか乗ったことのない若者の眼である。つまり、それが高級品だろうが、素晴らしい社会的地位だろうが、世界的名声だろうが、そうしたものの価値を感じ続けたいなら、そうしたものに憧れているのに、まだそれを得られない「人の眼」が、常に必要なのである。

従って、こうしたものの価値は、実質的でない仮初なものに過ぎないと、漸く、言い切ることができるだろう。というのも、そうした「他人の眼」を支えるものは、基本的にまだ得られていない人の空想に違いないからである。しかし、そんな「他人の眼」を維持し続けるのは不可能である。

かくして、十年連続長者番付十位以内に入り続けた斎藤一人氏は言っている。

高級車は、三か月で厭きて、豪邸は一年で厭きる。あるいは、オリンピックのヘビー級グレコローマンで、三個の金メダルと一個の銀メダルを獲得したロシアの格闘家、アレクサンドル・カレリンは、「金メダルを取った喜びは、何日、いや何週間続くものなのですか」という極めて直截な質問に対し、すぐさま、「二十分」とにべもなく答えた。

だから私のようにあまりにも多くの得られないものがある常人にとって、少しいい、洋服やら、自家用車やら、住居やらが、依然として、価値を持ち続けているので、無論、得られないストレスはあるが、得たいと思っているものの価値は信じ切っている。

だから、自分が時折感じる虚しさは、自分の希望がかなえられないからだと信じているので、深刻な絶望には陥らないのだろう。

さて川端氏に戻ると、先ず、他人の自殺の原因など、ノーベル賞受賞者だろうが、近所のオジサンだろうが、本当のところは分からない。だが高校生の私が抱いた「ノーベル文学賞を取った大作家がなぜ自殺するのか」という疑問はあまりに無邪気過ぎた、とこれまで書いてきたことから明瞭に理解できる。

人は何かを得る度に、幻想が一つ消えて行く。ノーベル文学賞なんか取ってしまえば、どれだけの幻想が消えて行くかは、想像に難くない。川端康成が、感じたかもしれない、憂鬱、孤独の恐ろしさを思った時、得られないがゆえに幻想だらけで死んで行くしかない私のような人生は、案外、幸福なのかもしれない。

本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

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