そして大学に、日本のバルザック研究の大家のT教授がいた。しかしバルザックは、物語を始めるまえに、その国や地域、都市の歴史、地理、家の構造だとかをマニアックに延々と説明するので、仏和辞典に載ってない単語まで出てきて、物語に行きつくまでが一仕事だった。
一巻1700ページとかある全十二巻のプレイヤッド版の「人間喜劇」を三巻まで読み通したところで、前に書いたように、結核にかかった。
だから一年後、退院してまたあの孤独な生活に戻るのか、と考えているうちに、段々鬱気を深めて行った。そこへ土建会社の社長だとか、春夫さんだとか、統山さんだとか、体を張って生きてきた人たちに出会い、何か自分がひどく狭い生活をしてきた気がして、文字通り青白いインテリ青年に過ぎなかった私は何かピンと来たのだろうか。
いや、大学の先生がつまらない仕事だと言うつもりは毛頭ない。だから、繰り返すが、60歳を過ぎて始めたように、フランス語を極めることから始め、例えば大学に籍を置いたまま、先ずフランスへ行ってしまえば良かったのだった。それで、やはり大学に残れなくても、それはそれで良かった、と思う。
しかし、過ぎたことをあれこれ言うくらい馬鹿馬鹿しいことはない。その時、いかに自分の思慮が浅かったにせよ、選んだのは自分で、その自分の延長として今の自分があるに違いない。その自分だけは絶対的に信じねばならない。
そして、その自分がここで言いたいことは、そもそも大学の先生にしろ、他の憧れている何かにせよ、何かになる、という目標設定自体が間違っている、ということである。
何かになるために、人生をそこへたどりつくための準備期間にしてしまうと、人生のダイナミズムは失われるのである。そして実際に、何かになった時、その何かが大したものでなかったことに気づき、茫然とするのだろう。
私は高校生の頃、川端康成が69歳でノーベル文学賞を日本人で初めて受賞したにもかかわらず、74歳で自殺したことを知り、非常に衝撃を受け、その「謎」について、時々、考えを巡らせ、最近、漸く一つの結論を得て、一篇のエッセイにした。
その中で、「何かになる」ことの持つ意味について、一つの見方を示し得たと思うので、それをそのまま載せ、この文章のエピローグにしたいと思う。