初めての社会人で初めての漁師、何をすればいいのかもわからず、周りは体のごつい漁師の先輩たち。怖いし必死で仕事を覚えないと何が飛んでくるかもわからない世界でした。漁師は体力勝負の力仕事、当時私は身長165㎝体重も50㎏あるかないかのひょろひょろの子供です。

力仕事についていけず、毎日筋肉痛と船酔いで食べては吐いて、鰹が釣れると今度は魚の処理があるので夜通し仕事があり、当時の私にとっては地獄のようでした。漁師の仕事がこんなに過酷だとは、夢にも思いませんでした。

陸(おか)にいれば、毎日お風呂に入って、食べたい物を食べて、気持ち良い布団で寝られますが、当たり前のことが当たり前ではない現実がそこにはありました。半年頑張ったら漁師なんか辞めて、陸(おか)の仕事に転職しよう。それだけを目標に半年頑張ろうと自分に言い聞かせ耐えていました。

しかし、その話を先輩の船員にしていたのを正一船頭に知られてしまい、船のブリッジに呼び出されて、みんなの前で恐ろしいほど怒鳴られて、次にそんなことを言ったら海に落とすと脅されました。当時17歳の自分は、もう船を辞めるなどと言ったら大変なことになると思うと怖くて怖くて、それからは船員の前では言わないように気を付けました。

17歳の私にとっては初めての社会人で、それが一本釣りの鰹漁師、船の中では、船頭が絶対という男社会。当時はパワハラなどお構いなしの世界で、本当に理不尽極まりない船上生活でした。

例えば、船頭の指示に対して意見を言おうものなら一喝され「何つか! 文句があるなら帰れ」と太平洋の真ん中で怒鳴られたり。鰹の生餌を運んでる時に滑って餌を落とすと「お前より餌の方が大事ながぞ」と怒鳴り散らされたり。挙句の果てには「お前はクソにもならん」と言われていました。

3マイル(時速約5km)以上の速い潮が流れている太平洋で流れ藻を泳いでロープを取ってこい(結んでこい)と言われ泳がされましたが、全く進まず力尽きこのまま死んでしまうと思った時もあります。大しけで波に流され右ひざの靭帯を切った時も翌日から仕事をさせられたりと、当時は身内の私には特に厳しくしないと他人に対して示しがつかないからだとは頭ではわかってはいましたがきつかったです。

その分他人からは同情され「あんな叔父さんを持ってお前はかわいそうやね」と言われていました。そんな私も20歳を越えてからはたまに頭に血が上り喰らいついていったこともありました。私は、この生活を12年続けました。今振り返るとおかげで社会人としての忍耐力がついたと感謝しています。

 

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20代で年収は1000万以上稼いだこともあった漁師生活。彼女ができ、娘も生まれ家族を持った私。しかし船を降りることを決め…

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