【前回の記事を読む】「褒めてもらいたい」小学5年生から勉強に打ち込んだ。テストはほぼ100点…しかし成績が上がるほど、友達から仲間外れにされ…
第一部 自叙伝
Ⅰ 生い立ち
退学
高校に入って16歳の頃の自分は学校の勉強が嫌いで成績が悪く、机に向かってする仕事でなく額に汗をかいてやる仕事がしたいなと思うようになりました。高校は赤点3つ以上で二年生に上がれない制度だったのですが、当時私は赤点が5つぐらいありました。何とか先生たちが2つ消してくれて上がることが出来ました。
しかし校則を守らずに何度も停学処分を受けていたので、二年生の一学期で退学になりました。後から聞いた話ですが、親がもう学校を辞めさせて佐賀に連れて帰ると言ったようです。これで私の学生生活は高校二年までで終わりました。
漁師生活
佐賀に帰り親から「お前は何がしたいがか」と聞かれ、当時女性相手の仕事でモテそうだと思って美容師になりたいと言いました。すると母親から叔父である明神正一船頭の船に乗って漁師を半年頑張ってお金を貯めて、美容師の学校に行ったらいいと言われ、あまり深くは考えずに漁師だったらお金は稼げるな、という思いで漁師になる道を決めたのでした。
これが、自分が自分の人生を決めた最初のターニングポイントです。
高校を辞めて一週間ぐらいで、叔父さんに宮城県気仙沼市に連れていかれ乗船しました。正一船頭はまだ、39歳バリバリの漁労長です。漁労長というのは船頭とも呼ばれ、その船で一番偉い人、会社でいうと社長のような存在です。
船長は船の運航についての責任者ですが、船頭は水揚げすなわち売り上げについての総責任者なので、この人は漁船では何十人かの船員を指揮し、情報を集め、いつどこの漁場で漁をするのかどこの港で水揚げをしたら魚価は幾らになるかを判断します。船頭の能力次第で船の水揚げは大きく変わります。正一船頭は鰹一本釣り水揚げ日本一を何度も獲得している今でも伝説となっている船頭です。
陸(おか)にいる時の正一船頭は叔父さんなので、怖い部分もありましたが、ユーモアもあり、普段はまさかっちゃんと呼ばれていて優しいところもある叔父さんなので、気軽な感じで乗船しました。
ところが、船に乗った途端人が変わるのです。鬼のような形相で捲し立てて大声で怒鳴りまくる、恐ろしい親方の下での丁稚奉公という所から私の漁師人生がスタートしました。