【前回の記事を読む】閉店後、2人きりの時に彼女が唐突に「君ってさ…」と…見抜かれていた。「話したくないならいい」と言われたが、気づけば打ち明けてしまっていた。
3.
千春のことが気になり始めたのが、いつからなのか、渉には正確にはわからなかった。
ある日、開店の準備をしていて、ふと千春の姿がないことに気づいたとき、(あれ、今日は千春さん来ない日だったっけ)と思った。それだけのことだったが、その後しばらく、いつもより静かな気がした。
別の日、お客さんが帰り際に「お姉さん、感じいいね」と千春に言うのを聞いて、渉は自然と千春の方を見た。千春が照れた顔をするのを見て、渉はなんとなく視線を逸らした。
(気になってる、ということか)
そう気づいたとき、渉は少し戸惑った。
人を好きになるということが、自分にできるとは思っていなかった。母を失い、父に裏切られ、継母にいじめられ、仕事でストーカー被害に遭い、SNSで嘘を書かれた。そういう人生を送ってきた渉には、誰かに近づくこと自体が怖かった。
近づけば、傷つく。それが渉の知っている人間関係だった。
(やめておいた方がいい)
そう思った。千春に気持ちを伝えるなんて、考えるだけ無駄だ。どうせうまくいかない。自分みたいな人間が、千春みたいな人と一緒にいられるわけがない。
でも、それでも気になった。
ある夜、仕事中に千春がカウンターにやってきて「渉くん、鶏の塩焼き2本追加で」と言った。渉が「はい」と答えながら串を手に取ると、千春が「今日のお客さん、面白い人でさ」と話しかけてきた。
渉は串を焼きながら、千春の話を聞いた。千春は身振り手振りを交えながら、常連客の面白いエピソードを話した。渉はそれを聞きながら、自然と笑っていた。
(俺、笑ってる)
気づいて、少し驚いた。最近、自然に笑えることが増えていた。千春と話しているとき、特に。