【前回の記事を読む】日の丸シールを貼ったバックパックを持つ私…現地の女性と待ち合わせたはずが、「アジア人」差別のような視線を浴びせられて……
第Ⅰ部 ヨーロッパ彷徨記
第2章 ヘルシンキからストックホルムへ
2-2 スウェーデン語学校
どこでそのことを知ったのかは思い出せないが、仕事が見つかるまでスウェーデン語学校へ通い出した。
というのもスウェーデンは移民の受け入れに積極的で、彼ら彼女らが容易にスウェーデンの社会に溶け込めるように、無料でスウェーデン語を教える施設が何か所か市内にあった。
正確な位置は思い出せないが、その一つが街の中心地から遠くないところにあったように思う。さほど大きくはない建物の2階、エントランスが広い1階の奥にエレベーターがあり、それを使い教室へ通った。
教師は若い男性と女性が交互に担当し、男性はスタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』に出てくる主役のような、個性のある顔をしていた。
女性の方は一般的な北欧の女性のように背が高く健康的な美人で、5月を意味するMaj(マイ)という名前だった。
受講者は私の他に日本人が一人、さらにポーランド、トルコ、ギリシャ、イラン、イギリス、ポルトガル辺りからの男女十数人が参加していた。
日本にいる時に『スウェーデン語入門』なる本を購入し、多少の知識があったこともあり、授業はさほど困難なものではなかったが、スウェーデン人が話すのを聞いていると、なんとも長閑というか牧歌的で、語弊を恐れずに言えば田舎臭い言語に思えた。
スウェーデン語で「ありがとう」に当たる言葉は「タック」であるが、ある時担当の男性教師が聞いたことのない言語で他のクラスの男性と休み時間に話をしていた。
その際、この「タック」を頻繁に使用しており、この頻度はいくらなんでも不自然だと思い、話が終わった時に彼に尋ねたところ、それはポーランド語で「はい」の意味とのことだった。
まさしく言語の恣意性に驚いたものである。彼の家族はポーランドからの移民とのことだった。
ここでの授業を労働許可書を取得するまで受講したが、クラスメートや休み時間に出会った様々な国の人がどのような思いでこの国に来ているのか、それほど真剣には考えていなかったように思う。というのも、こちらもある意味、根無し草的な心境であったからである。