【前回の記事を読む】「日本の話をお聞きしたいのですが」と突然日本語で話しかけられたが、丁重にお断りした。何故なら…
第Ⅰ部 ヨーロッパ彷徨記
第1章 横浜からナホトカ・モスクワを経由しヘルシンキへ
1・1 1970年代のソ連
旅は食べ物や土産物で話が盛り上がるところだが、生憎、私にはそれらの領域にはあまり馴染みがないことを予めお断りしておく。
ただ、ロシアでは有名な飲み物であるクワスを探したが、どういうわけか見つけられなかった。清涼飲料ということで時季がまだ早かったようである。
ミルクを求め、乳製品を売っている店に入ると、立ち飲み用の小さな丸テーブルがいくつか置いてあり、地元の人たちが飲み食いしていた。
それらしいものを見つけたので、口に入れてみたところ、なんとそれは液体のヨーグルトであった。今では当たり前の食品ではあるが、まだ日本では流通してはいなかったため、このようなミスをすることも異国ならではのことであろう。
モスクワの駅をいつどのように出たのかは記憶にないが、フィンランド領に入った国境の駅で列車が停車し、一度外に出てキオスクにて出発までの時間を過ごしたことは記憶している。
キオスクにて同じ旅行グループのメンバーである若い女の子たちが、いわゆるポルノの小冊子を覗いて「髪は金髪やけど、あそこの毛はうちらとおんなじや!」と興奮気味に笑い合っていた。異文化の身体への若くて無邪気な好奇心、そこには男女の区別はなかった。
列車へ戻ろうとした時に、前方からネクタイを締めスーツを着た二人の黒人の青年が歩いてきた。
誰かが英語で話しかけると英語で答えていたので聞いていると、アフリカからの留学生とのことだった。70年代のソ連でアフリカからの留学生に出会うとは予想していなかったが、ふと(なぜフィンランドへ?)との疑問が浮かんだ時にはもう彼らの姿はなかった。