1・2 ヘルシンキ寸描
特徴のあるヘルシンキ中央駅に着いた時には、もう日が暮れていた。バスにてユース・ホステルへと向かうべく、バス停まで夜のヘルシンキを歩いたが、街のネオンの明るさや人々の明るさに(勝手にそう感じたのかもしれないが)モスクワとの違いを感じた。
宿に着くと途中で買ったサンドウィッチを食べ、そのまま眠りについた。
翌朝、行動を開始するべく宿を出ると、子供たちが公園でサッカーに興じている光景が目についた。サッカーをする北欧の子供たちを見るのが新鮮であったとともに、アルファベット圏に入ったことを改めて確信し、解放感を覚えたものである。
ヘルシンキの市街地図を見ながら散歩していると、何人かに英語で「お手伝いしましょうか?」と声をかけられた。
以後、このような体験は他のヨーロッパ諸国ではしたことがなく、フィンランド人が一般的にロシアとの関係で苦い経験をしてきており、日露戦争でロシアを負かした日本に好感を抱いているとは聞いたことがあったが、そのことが確かなことなのかは不明ではあるが、親日家であるという印象を抱いた。
フィンランドで思い出すのは、後にスウェーデンでの滞在記でも触れるが、文通相手のスウェーデン人の女子学生が住む学生・社会人共同集合住宅に若い女性がおり、キッチンを兼ねた食堂で何度目かに会った際に声をかけると、フィンランドから来ていたことが分かった。
不思議に思い、なぜスウェーデンにいるのか尋ねたところ、スウェーデンの方がフィンランドより稼ぎになるとのことだった。
スウェーデンには出稼ぎに来ている外国人がいることは承知していたが、同じ北欧からも来ていることは想像していなかった。
食堂では一人黙々と食事をし、誰かと話をするでもなく、不思議な女性と思っていたが、そのような事情があったとは知らなかった。こちらは長髪でヒッピーのような出で立ちだったので、一度彼女の蔑(さげす)むような冷ややかな視線を感じたことがあったが、その理由が分かったような気がした。
人にはそれぞれ事情があり、たとえそれが理解されないとしても、それはそれで致し方のないことなのだろう。
「人生はいくつかの淋しさからなる」と言ったのは漱石であったろうか、太宰であったろうか?