「俺には何の決定権もないんだ。ここに来ることになったのも、お母さんと塾長が決めたことなんだ」
そもそもお母さんが『塾長さん、お試しで来てもらったこの先生でいいですよ』というOKが出たから、引き続き来られた訳なんだ。
「じゃあお母さんが、『これからも来て』って言えばいいの?」
「でもね、家庭教師って、塾より授業料が高いんだ。だからお母さんの経済的な負担も考えなくちゃいけないしね。それに、もし家庭教師が面倒見るとしたとき、高校受験にふさわしい先生を塾長が用意するかも知れない。だから、お母さんと今後のことをよく相談するんだ。歩夢は今、自分でしっかり意思表示できるようになってきている。だからお母さんとじっくり話すんだ」
「そうだね。自分とお母さんの最適解を見つけてみるよ」
「おぉ、難しい言葉知ってるな」
照れながら歩夢が言う。
「国語はずっと自習してたから」
今日は授業の半分以上の時間を、今後のことに費やし、帰路についた。
歩夢にとっては、不安この上ない時間だったかも知れないが、これも歩夢の成長に繋がるんだと自分に言い聞かせた。
歩夢との授業もあと残り三回。いつもどおりインターホンをならしてから、玄関を開ける。
「お邪魔しまーす」
玄関では、お母さんと歩夢が揃ってこちらに真正面に向かっている。
「塾長さんと今後のことについてお話しました。引き続き来てもらうことは可能でしょうか?」
先輩からは、前もって「歩夢くんのところ続けてもらえるか?」と打診があったところだ。
「ええ、俺で良ければ」
お母さんは「よかったね、よかったね」と歩夢の手をとった。
俺は歩夢と握手を交わそうとしたとき、あえて左手を出そうと思った。
「お母さん、歩夢君との授業の中で、ずいぶん左利きのことを話しました。俺も左利きです」
「ええ、歩夢から聞いています。目を輝かせて話してくるのを見て、なんだか私まで、ありのままで生きていいんだ、と感激しました」
「歩夢、握手だ」
そう言って左手を出した。
歩夢が、えっ? 握手は左手で?っと戸惑っている。
「歩夢、ボーイスカウト同士は、親しみの情をあらわすため、『左手の握手』の挨拶をするんだよ。これは全世界共通のスカウトの挨拶の仕方になっている。もちろん、それぞれの国やビジネスシーンでマナー違反を問われることも多いけど、物事の捉え方はひとつじゃないんだ。ひとつの価値観に縛られることはないんだ」
歩夢は左手をゆっくりと差し出した。握手を交わしながら俺は叫んだ
「右手onlyの価値観なんか、くそくらえだ」
本連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。
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