その単語を耳にした葵は目を見開いた。ヤクザの娘。犯罪者の娘。確かにそう聞こえた。雛菊は依然としてリストカット跡のある腕を押さえている。先ほどと違うのは絶望したように愕然とした表情でいることだ。
幸か不幸か、そこへ見覚えのある高級車が通りかかって葵たちの目の前で止まった。すると少女たちは「ヤバッ」と蜘蛛の子を散らすように去っていく。車から降りた鬼塚は険しい顔つきでそれを見送った。
「葵さん。お嬢に何かありましたか」
「私にもよく分かりません……。雛菊ちゃんがすれ違いざまにさっきの子たちから足を引っかけられて――イタッ」
不意に痛みが走った腕を見ると、袖をつまんでいる雛菊と視線が交差する。力んで肉まで掴んでしまった彼女は何かを訴えかけるような眼差しで首を振った。それ以上は何も言うな。そう告げられている気がした。
「雛菊ちゃん……」
「ここにいると目立ちますから、二人ともとりあえず車へ。葵さん、ご自宅までお送りします。ささ、どうぞ」
「いえ、私は大丈夫ですから雛菊ちゃんを送ってあげてください」
「しかし……」
渋る鬼塚に構わず葵は雛菊を車に乗せた。ただ、それだけでは終わらない。手帳を開いてペンを走らせたかと思うとそのページを破いて鬼塚に渡したのだ。そこには『喫茶店で待ってるので、雛菊ちゃんを送ったあとに戻ってきてください』と記されていた。
鬼塚が戻ってきたのは一時間ほど経ってからのことだった。
「お待たせしました、葵さん」
「雛菊ちゃんは落ち着きましたか?」
「さぁ、そこまでは……。帰るなり自室へこもってしまいましたので」
「そうですか……」
葵は先ほど雛菊に掴まれた腕をさすった。まだ少しだけ痛みが残っている。あの華奢な腕のどこにそんな力が、と思わずにはいられない。
「鬼塚さん、変に隠さなくて大丈夫ですよ。ヤクザだとか犯罪者の娘だとか、私とは関係ないですから」
そう答えると鬼塚は珍しいものを見るような表情を浮かべた。
「どうしました?」
「あ、いえ。こういった反応は滅多にないことでしたから。だいたいの人間はヤクザだと知ったらサーッと離れていきますしね」
「そりゃ驚きはしましたけど、私は雛菊ちゃんのリストカットのほうが気がかりで……」
「え、お嬢が傷跡を見せたんですか?」
「自分からじゃありません。ちょっとした事故みたいなものでしたけど、チラっと見えちゃって。雛菊ちゃんはいつからあんなことを?」
「俺にもハッキリとは分かりません。ただ、中学時代は普通に夏服を着ていましたし、授業でプールにも入りますから高校生になってからだと思います。入学してからずっと冬服ですからおかしいとは思っていました。職業柄、人前で肌を見せられない人間はどうしても疑ってかかりますから」
今は十二月なのでもちろん長袖だが、鬼塚も人前では半袖を着ない。背中が透けそうな薄いシャツも避ける。現代ではヤクザが刺青を見せるだけで恐喝罪に当たることもあるのだ。
次回更新は8月29日(土)、11時の予定です。
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