【前回の記事を読む】手術後から苦しそうな愛犬。獣医は「手術が失敗だったのかも、やり直させて」と…手遅れだった。もう息をしていなかった。
第二走者 醸 (ミニチュア・ダックスフント) 平成九年~平成二十二年
愛醸物語
人間が仕事に追われて飛び回っているときに、醸は一人寂しくあの世へ行ってしまった。
きっと苦しかっただろう。熱があって、気分も悪かっただろうに。
手術なんかしなければよかった。苦しい思いをさせただけだった。
解熱剤の注射が、もしかしたら心臓に負担をかけたのだろうか。あんな小さな体で、手術と注射を受け入れて、必死で闘ったのだ。
自分を責めても仕方ないが、後悔の念がどっと押し寄せてきた。
十四歳とはいえ、まだまだ生きられたはずだ。ひらひら尻尾を振りながら、どこまでも私のあとをついてきたはずだ。どこへでも一緒に行くといって、ひょいと抱かれると、満足そうな顔をした醸くん。
畑へ行くのも車で出かけるのも、いつも一緒だった。寝るときも一緒の布団に寝ていたのに。
私の言うことを、ちゃんと受け止めてくれた醸。
真剣なまなざしで、そうなんだね、そうなんだ、と聞き入れてくれた醸。
「醸くん、醸くん、戻ってきて …… 」 体を撫でてやる。ほんのり温かい。声をかければ、むっくり起き上がってくれそうな気がして、必死で声をかけてみるのだけれど。
涙が、止まらない。
鼻水も、止まらない。
目が、真っ赤になってしまった。
それでも、最後の一台のバスがやってくる。どんな顔でも、仕事をするしかない。
舞台俳優は、幕が上がれば親の死に目にも会えない。そんな言葉が頭を駆け巡る。
たかがペットの犬が死んだだけで、仕事を休むなど、世間ではとても許されないことなのだ。
お客さまはみな初めての人だから、案内係のおばさんは結膜炎でも患っているか、風邪をひいて鼻声になっているぐらいに思うだけだ。
鼻をすすりながら潤んだ眼で必死に説明をし、お客さまの案内を済ませ、バスを無事に送り出した。
「社長、どうしたんですか」と、社員が変な顔をして聞く。
「醸くんが、醸くんが、死んでしまった …… 」
獣医さんに電話をして、醸が息を引き取ったから、もう手術のやり直しはしなくてよいと告げた。
「ややっ、それは …… 」
獣医さんは、あと何も言わなかった。