わたしは、ダッチドア越しの外で、妹は、ガラス戸越しの家で、父は、タバコを落とした床のところで。三者三様で、炎が上がるのを目撃した。家の中にいた妹は恐怖で声も出ず立ちすくんでいる。わたしは、水道からホースを延ばすために庭を駆けずり回っていた。

父は、しかし、悠然と、「まだ、灯油は残っていたんだな。危なかった」と、つぶやいていた。何言ってんだか? 今が火事なんじゃい。妹は、父に向かって叫んだ。

「父さんのばかやろう」

しかし、父はなぜか、火傷を負うこともなく、難なく火を消し止めた。獣は、火を嫌うが、わたしたち姉妹は、炎の中にすくっと立ち悠然と火を消す父を思い、いまだにたき火や、花火や、ゆらゆらした火が苦手である。

火をつければ、灯油は、燃える。事件になりかねない出来事も、父は、動じない。家族を守るとか、そんな大層な考えはなく、ただ、黙々と、淡々と火を消していた父の姿はいまだに不思議な存在だとしか説明のしようがない。

中学生の頃の夏休みは、父と妹と過ごす日が多かった。華やかな母は、休みは子育てを父に任せ、バレーボールの練習に行き、友と語らい、日頃の主婦の生活以外の時間を満喫していた。

夏休みのお昼はいつもそうめんとスイカだった。父は母に文句も言わずおいしそうにいつもそれを食べていた。しかし、約束の時間を過ぎると、父は檻の中の動物のように動き回り、不安を隠せなくなる。そして、ママはいつ帰るんだ、遅いなぁと、不機嫌になり、長女のわたしに宥められていた。母に不満をぶつけたら事は済む。

しかし、母には一言も言わなかった。そればかりか、「お帰り。疲れたろ、毎日家にいるんだから、たまにはゆっくりしてきていいぞ」などと素晴らしい夫ぶりを発揮する。嫌な部分だ。なぜ、ガツンと、遅いぞと言えないのか、多感な中学生時代のわたしには、夫婦としての父母を理解できなかった部分でもある。

そんな父は、母を愛するあまり、母方の祖母と瓜二つになってきた。気が合うと行動や考えが似て、同じ仕草をすることはよくあることだ。父と祖母は母を挟んで仲良く暮らし実の息子たちより父は祖母の息子らしくなっていた。しかし、小さなくだらない口喧嘩もよくしていた。いつも最後に父はこう言って笑った。

「ばあちゃんは、百まで生きっぺ」

 

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