【前回の記事を読む】歳を重ねるにつれて、わたしは父に似てきた気がする。わたしという人物を客観的に考えた時、大嫌いだった父親が…
父への本心
父が71歳を迎えた時、「人生の折り返し地点だ。お父さんはこれからが勝負だ。またモリモリ盛り返していくどー」とのたまわった。
父の折り返し地点は、最大値であったのだろうか、最小値であったのだろうか、それとも、人生を一つの器にたとえたなら、もう満杯になっていたのだろうか。
その折り返し地点を3ヶ月過ぎた寒い冬の朝、父は逝った。枕元には、明日食べようと思ったのだろうか、ミカンが二つ置いてあった。
勉強熱心だった父が毎日聞いていたハングル語がラジオから流れ、父が側で聞いていないことを除けば当たり前の朝だった。
朝ご飯に来ない父を、わたしも母も何も疑わなかった。それより、朝のお互いの報告をし、今日の予定を伝え、いつものように父が何を今日はしでかすか、苦笑しながら楽しみにしていた。
お父さんに食べられないうちに食べちゃおう。食欲旺盛な母は、父が席につかなくても食卓で食べていた。
「お父さん何してるのかな、先に畑に行って、大根とってくるかもしれないね」
しかし、その日の朝は特別な日になってしまった。父は、何も言わず誰に助けを求めることなく、寒い浴室で、突然に、しかし眠るように横たわっていた。
父の体は、シャリシャリと音がするような冷たさで、浴室は白く一筋の光がさし、父の霊が昇っていく道が見えた気がした。
やがて、静かな朝に似つかわしくない、救急車そして検視が入り、虚血性心疾患というなんとも悔しい死因がつけられた。
お酒を飲み、夜、父母の住む母屋から私たちの住む家に、庭づたいにわたしに会いに来た。父がかわいがっていた犬に明日の朝ご飯をあげてくれと。
「わかってるよ、いつもあげてるでしょ」。わたしは、受験勉強中の下の娘に気を遣いながら、父を気遣うことなくドアから父を見送った。最後とわかっていたなら。そしてそれは、わたしの後悔の始まりの瞬間でもあったのだ。
亡くなる10日前友人と酒を酌み交わしたのだろう、上機嫌でタクシーを降り絵に描いたような千鳥足で家に帰る父を窓越しに見た。
珍しくタクシーに向かって大きく手を振り満面の笑みの父が見えた。その時わたしは涙が止まらなくなっていた。涙の理由はわからない。ぬぐってもぬぐっても涙はこぼれ落ちてきた。不思議な涙だった。
ただ、何かが迫ってきたような胸騒ぎを覚える感覚だった。
あの時もっと自分の意識に目を向けていれば、そして涙の理由を追求していたら父を救えたかもしれない。
お酒を飲み、寒い外に出て、すぐにお風呂に入った。それは寿命ではなく事故である。もっと側にいて、見てあげていればよかった。寒い冬お風呂に入るたびに父を想う。
北海道余市町の大自然の中のリンゴ農家の次男として父は生まれた。真っ赤なほっぺをした3歳まで話をしない子だったらしい。
おしゃべりな父にも無口な時代があったのかと微笑ましく思う。祖父は、高知から開拓民として海を渡り、農家を営んでいた祖母に出会ったようだ。