【前回記事を読む】日本では伝統的だが、ヴィクトリア朝では“ありえない”――1枚の絵に複数の時間を描く技法とは
第三章 ヴェルフリンのバロック論
五組の二項対立
絵画について、題材や描写対象さらに彩色の傾向性を捨象して、形体としての示差特徴 distinctive featuresを同定しようとすれば、自ら対比(すなわち相対性)という視点が基礎となる。これがなければ「示差」ということが成り立たないからである。
さらに、対比による示差の体系化は完全で、閉じたものでなければならないが、完全かどうかはいまだに実証されていない。ただ示差が相対性の原理に基づくことさえ認められれば、示差の体系が不完全である可能性は残っていても、個別の事例を見分けるになんら支障はない。
ハインリヒ・ヴェルフリンの広く知られた分類では、古典主義様式とバロック様式の相違は次のような五組の二項対立に収斂する。各組の後項がバロック様式の特徴である。
①〈線的/絵画的〉
②〈平面/奥行き〉
③〈閉じた形式(構築的)/開かれた形式(非構築的)〉
④〈多様性/統一性〉
⑤〈絶対的明瞭性/相対的明瞭性〉
これらの対比の、前項から後項への歴史的変化・発展を、ヴェルフリンのように認めるかどうかがその後の美術史上の争点となってきたが、ここではその問題は捨象できる。歴史上の変化は時間を逆行する場合も排除できないことがあり、その問題に本書で立ち入る必要はないからである。
また、前項と後項の間に審美的な優劣を認めるわけでないことは、誤解を防ぐために強調しておかなければならない。いま焦眉の課題は、「絵画的」「奥行き」「開かれた、非構築的形式」「統一性」「相対的明瞭性」というバロック様式の特質が、レイトンを始めとするヴィクトリア朝古典主義の大家たちとの対比でウォッツの示差特徴と定位できるかどうかである。
この比較の成否は以下の論述が示してくれるはずである。筆者の判断が間違っていなければ、従来のウォッツ論では掬い取られなかったこの画家の主要な作品にバロック様式の片鱗を認めることによって彼の独自性が見えてくるだろう。ヴィクトリア朝古典主義でも象徴主義でも覆い尽くせないウォッツの真価がはじめて明らかになるだろう。
① 線的でなく絵画的
ヴェルフリンは古典主義の特質の一つが、事物の境界を明確にし、視線を導き、触覚的な把握をも導く「線」にあるとする(ヴェルフリン19頁他)。
「線」のもっとも顕著なものを絵画に求めれば、水平線と地平線とがある。対照的にウォッツの絵画では、ほとんど常に、水平線はたれ込めた雲や霧やうねる波の形象によって攪乱され、朦朧となり、空と海の境界線は不分明である。具体的な事例によってこの点を確認したい。