秀次、死ぬまでこの籠を使い続ける気だったが、一と月ほど前にその時の職人が新しい籠を持って来た。
聞けば、秀次が籠を肩に掛けて颯爽と市場に出入りする姿が評判となり、注文が引きも切らないのだと言う。
「お礼をせならん。そやけど、職人の礼は腕で言うもんや」そう考えて、暇を見ては色々と工夫も重ねながら仕事をした。
そしてようやく、今の自分の一番。そう思える物ができたので持って来たのだという。
「軽いな、こいつぁいいや」
職人が自信を持つだけあって良くできていた。前よりも竹を細くして、編み方も工夫したのだと言う。
「底三寸は水も通さん」
一目で気に入った。だが、如何にも新品といった若々しさが気恥ずかしい。それに、今の籠をお役ご免とするのも忍びない。秀次とのれんの歴史の詰まった籠なのだ。
踏ん切りがつかぬままに一と月ほどが過ぎた頃。
「すまぬ秀次殿。これより進めぬ」
勝手口に、魚桶を抱えた石動が立っていた。
盥のような桶を持てば両手がふさがる。それで、竿は帯に差して背に回したのだが、その竿が勝手口の軒庇(のきびさし)に当たって前に進めない。
桶を置いて竿を抜けばいいのだが、それができない。桶を置いた時に鯉が跳ねて地に触れたら鯉は死ぬ。なぜかそう思ってしまった。
しかも今日の鯉は飛びっ切りに元気がいい。顔にかけた手拭いなど物ともせずに飛び跳ねる。跳ねるたびに桶で追って動きを封じるのだが、一度は完全に飛び出した。腰を沈めて桶を差しだして、地に落ちる寸前を受け止めた。
はたから見れば、往来で泥鰌すくいを踊っているとしか見えない。ただし、踊っているのが髭もじゃにぎょろりの大目玉の大男だから、誰もが目をそらして通り過ぎる。
ようやくのれんの勝手口にたどり着いた時には、桶の水はほとんど残っていなかった。
「あー、大丈夫であろうか?」
死なれては生き肝が取れない。