【前回の記事を読む】父は言葉を失った――異常な暑さで干上がっていくカスピ海…水辺でほとんどの生き物が死んでいた。家族の元に慌てて駆けつけると……

第四章 「4コマイラスト」が生み出した作品の彩り〜イラストレーター「川崎絵里さん」との嬉しい出会い〜

北海道 「キモッペの冒険旅とエトピリカ花魁(おいらん)姉さんの文句タラタラ」

小さなあとがき

22歳の夏に北海道の根室半島に「酪農の援農アルバイト」に行きました。期間は80日間で、日当は食事付き840円でした。ホルスタインの糞尿処理からサイロ管理や搾乳まで様々な仕事を身に付けました。

バイト料6万7200円を頂いて、野付半島→知床半島羅臼岳(らうすだけ)から摩周湖→阿寒湖→野幌(のっぽろ)→函館とテントを担ぎながら8日間旅を続けました。当時はありのままの自然が北海道には溢れていました。

青森県 ざぶとん権左と七色虹の樹

津軽(今の青森県)には桜の木で有名なさくらの里がありました。そこから眺められる秀麗で壮大な津軽富士と呼ばれている山が「お岩木様=岩木山」です。その山の南東側の麓に小さな村がありました。

一人の若者が母親と住んでいて、名前は権左といいましたが、いつも「ここは極楽じゃ! よかよか!」と言いながら朝から晩まで働きもせず、毎日のようにのんきに過ごしていました。

ボロボロの座布団の上に座っては、周囲の景色を眺めたり、やって来る小鳥たちと会話したり、その地方に伝わる民謡を口ずさんだりするだけの彼を、村人たちは座布団からなかなか離れないので「ざぶとん権左」と呼んでいました。

父親は早くに病で亡くなり、女手ひとつで育てられましたが、父親の性格を受け継いでいるのか、それはそれは天邪鬼で野放図な若者でした。

母親のワニは細々ながら畑を耕していて、ペルシャから伝わったほうれん草という野菜と岩木山神社の神主さんがヒマラヤでの修行の帰りに日本に持ち帰ってきた唐桃= アンズの樹を譲り受けたので、生活は何とか食べることには困らず、酷く貧しいこともありませんでした。