第五章 教授の妻として
一家で仙台へ
ちょうどそのころ、東北大学医学部に薬学科が新設されることになった。そこで親父が、製薬・分析等の教室に肩を並べる衛生化学教室の初代教授として、仙台に赴任することになった。
親父は当時三十七歳、大抜擢の人事だったのだろう。母はわずか三十四歳だった。
そして父は、秋谷七郎教授のもとで働くことになった。
物質的には恵まれるようになり、いわゆる「三種の神器」が家庭に普及し始めた時代だった。しかし精神的にはそこまでゆとりがあったわけでもなく、「欧米に追い付け・追い越せ」をめざしていた時代でもある。
実利的な学問の価値が高まり、社会から強く要求される時代に、「栄養と疾病」、「食品衛生と健康」、「環境衛生」等を看板に掲げる教室の立ち上げにかかる苦労は、並大抵なことではないと容易に推察される。
道のない新設の教室を立ち上げたわけであるが、ましてや医学部の中の薬学科。
その存在を確固なものにする親父の道のりは、遠く険しいものだっただろう。
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