【前回の記事を読む】庭で飼っている鶏が卵を産んだ! 一刻も早くおふくろに見せたいと思い、2階にいるおふくろめがけて卵を——

第三章  土浦での新生活 

旧家 奥井家が変わっていく

幸子おばさんの生活も大きく変わった。それまでお手伝いさん任せだった炊事を、すべておふくろが担うようになり、新しいお姉さんがつくってくれるハイカラな料理に感動したそうだ。ときには一緒につくることもあり、料理に興味を覚えるようになり、後に料理学校へ通い始める。

加えておふくろは、東京・目黒の文化の香りもこの家にもたらした。「素敵な洋服ばかり持っていて、こんなに素敵な着物を今までに見たことがなかった」と幸子おばさんは言う。

その服を借りて出かけるときは、気分が高揚したそうだ。幸子おばさんは、兄である勝二の結婚式に、おふくろの振袖を借りて出席したのだが、そのとき新婦の弟・稠(しげる)も披露宴に出席していた。

この稠が幸子おばさんの振り袖姿に惚れ込み、後に結婚することになる。兄弟姉妹が親戚になることになった。

このように幸子おばさんは、おふくろの思い出をたくさん語ってくれる。「お姉さんはいつもニコニコして、とても親切だった。怒られた記憶は一度もない。働き者だった」──静おばあさんには、たくさん怒られたそうであるが。おふくろの女学校時代の話もしてくれたそうだ。

おふくろが学級長をしていた折、全員に号令をかけるのが、とても嫌だったという話。そんなことをしたことがない幸子おばさんは、一層おふくろが輝いて見えて、「さすが海軍軍人の娘」と感じたそうである。

親父の兄弟は、おふくろに対して「海軍中将の娘」というレッテルを貼っていたようで、かたや自分たちは「片田舎の薬局の子ども」というちょっとした劣等感を持っていたのかもしれない。

子どもが生まれる

昔は、結婚してから三年以内に子どもが授からないと、惨めな思いをしたらしい。特に静おばあちゃんは、期待の長男の嫁に「一日でも早く子を授かってほしい」という気持ちからであろう、「まだ子どもができないの」と機会あるごとに聞いてきたそうだ。

結婚三年目の昭和二十三(一九四八)年七月十三日、ようやく男の子を授かった。それが私である。四年後の昭和二十七(一九五二)年二月九日には、長女の友子を出産した。

おふくろは骨盤が狭く、二人とも難産であった。出産時には骨盤がなかなか開かず、二人とも帝王切開を行うこととなった。この時の輸血が原因で、輸血後ウイルス性肝炎のキャリアとなり、一生定期的に検診を受けることになる。おふくろの出産は命がけだったのである。