【前回の記事を読む】「まだ子どもができないの」「早く子を授かってほしい」結婚してから3年以内に子どもを授からせたい義祖母は事あるごとに……

第四章  再び、東京へ

自然豊かな環境に囲まれて

幼稚園を卒園すると、開進第四小学校に入学した。新設の小学校で我々が一年生から入学する最初の学年であった。開進第四小学校の有名人に、一回生で園まりがいる。園まりが現役の時は胸を張ったものだ。

いまでこそ練馬は住宅地であるが、当時の練馬はまだ畑が一面にあり、家もそう多くはなかった。帰宅時は、茂呂病院という大きな病院の敷地を通って近道し、いったん坂を下る。坂道の頂上に我が家が見えた。麦畑の畝を通って上り坂を見上げると、おふくろが眩しい白の半袖ブラウスの右手を大きく振っている。そんなおふくろに気がついて、全速力で家に帰った記憶がある。

同級生がおふくろを見ることができる数少ない機会の小学校の授業参観日は、毎回毎回楽しみだった。友達が、「お前のお母さん素敵だね」と言ってくれるのを聞くのが心地よかった。胸を張りたい気持ちでいっぱいだった。

家の敷地は約百坪あった。北の道路に面した家の西側には、井戸水のポンプがあった。水を一生懸命汲んで、たらいで水浴びをするのは楽しかった。

南側にはタイルを敷き詰めたベランダがあり、その幅で長方形の芝生があった。その先には、レンガで囲った花壇があり、いまでもカンナの色鮮やかな赤が脳裏に浮かぶ。西側には物置小屋があり、屋根に上ってそこから飛び降りられるか、友達と肝試しをしているのを見つかっては叱(しか)られた。

鉄棒もあり、ぶら下がって反動をつけてどこまで遠くまで飛べるかの競争をした。あるとき、頑張りすぎて手を放すのが一瞬遅れ、背中から地面に叩きつけられ呼吸困難になったことがある。そのときおふくろは、「無茶しちゃダメ」と心配そうに背中を撫でてくれた。

家の周りは砂利道で、砂ぼこりがひどかった。冷蔵庫はもちろん電気製ではなく、上の段に氷を入れて中に入れたものを冷やす冷蔵庫だ。配達の人が毎朝、自転車で氷を袋にくるんで持ってくる。子ども心に氷が解けてしまわないか心配した。