はじめに

私は、昔どおりの慣習でいえば数えで古稀を迎えた年に、母紀美子を見送ることになった。

衰えゆく記憶力を感じ、頼りない我が記憶を忘れないうちに書き留めたいと思い、本の出版を思い立ち、身の程知らずと知りながら、幻冬舎ルネッサンス新社編集部の門を叩いた。

応対に出ていただいたのは、山名克弥社長。身が震えたが、「おふくろのことを本として残したい」という素直な気持ちを伝えると、

「奥井さん、お母さんの一人暮らしのマンションを拝見させてください」と提案があった。

「おふくろが住んでいたのは仙台ですよ。多忙な社長がいつ来てくださるのですか?」と、現実味のない提案に半ば呆れて質問しましたが、

「私は週末には予定を入れない主義で、今週末の土曜日はいかがですか?」と逆に提案された。

出版の可否を相談しに行ったつもりが、すっ飛んで出版準備作業に入ることになったのである。

かくして、幸いにも「素敵なお母さんだったわね」とおっしゃってくださる多くの方々に背中を押されるように、一人の母親が歩んだ一世紀に近い九十二年の人生を、一人の「バカ息子」が振りかえるのも良いのではと思い、

皆様への感謝の気持ちを込めて筆を執った。親父を若くして亡くし、途方に暮れていた母子家庭に温かい手を差し伸べてくださった方々への恩返しの機会にもなるのではとの思いもある。

また、孫を育てている娘がきりきり舞いをする姿を見て、若い母親へ、微笑ましいエピソードを添えて、おふくろの人生から何かを学び取ってほしいという思いも込めたつもりだ。