【前回の記事を読む】母の人生をふりかえる――古希を迎えた年に亡くなった母。思い出が薄れてしまう前に、忘れてしまう前に「本として残したい」

第一章  生い立ち

家族団らんの思い出

私にとって周おばあちゃんの思い出といえば、ある正月、兄弟家族が集ってお祝いをしたときのこと。かるたは、百人一首である。

周おばあちゃんはかるたの名手で、孫の私に秘策を教えてくれた。「むすめふさほせ」──これで始まる句は一つしかないので、これを覚えると誰よりも早く取れるよと教えられた。

ちなみにおふくろからは、百人一首の話題を聞いたことがない。まだ小学生だった私には百人一首は無理だと察したのであろう、「栄一、かるたを買ってきなさい」と命じられ、私は近所の駄菓子屋さんのような店でかるたを買って帰ったことがあった。

このとき買ったのが「プロレスかるた」で、皆が喜んでくれると思って買っていったのに、顰蹙(ひんしゅく)を買ってしまった。

そこでもう一度かるたを買いに行き、「サザエさんかるた」を買い、やっとみんなが納得してくれた。

そのかるたの一枚、「飛び乗ったバスは 車庫行」という札を覚えている。

おふくろの兄はロマンチストだった。勉強よりも絵を描くことが好きで、勉強をしているふりをして机に向かい、竹久夢二の模写に熱中していたという。

見回りに来た祖母の周がドアを開けると、慌てて引き出しにしまい、教科書を机の上に置いたという。後に清水建設の副社長になる。

おふくろの弟はやんちゃで、いたずらっ子。

おふくろはよくいじめられたそうだ。しばしば聞いたエピソードは、おふくろが小学校の新学期直後に、ランドセルを庭の池に放り込まれて教科書がびしょびしょになったという話である。

教科書の厚さが三倍ほどになり、その年一年間は、真剣に弟を恨んだと聞いた。後に日本郵船に入社し、船乗りとなる。

家族そろって(右から二番目がおふくろ)