病弱だった幼少期と、ミーハーだった女学生時代

おふくろは、幼児期は体が弱く喘息気味で、肋膜炎(現在は胸膜炎)を患っていたそうだ。胸の痛み、呼吸困難の症状に悩まされていたことが推察される。

当時、青山に住んでいたのだが、大気汚染が進んでおり、心配した両親は平町(現在の東急東横線の都立大学駅付近、目黒区平町5)に引っ越した。

その家は明治を感じさせるどっしりとしたつくりで、子ども心に「豪邸」だと感じた。

玄関を入ると、大きな鏡があった。両脇に真鍮の手すりが付いていて、その手すりで逆上がりの練習をしたのを覚えている。縁側と中廊下があり、家の中を一周できるほど大きな家であった。

中庭の池には金魚がいたが、どうやらおふくろは弟に、この池にランドセルを放り投げられたらしい。

おふくろの通っていた小学校は青山南尋常(じんじょう)小学校で、「私は『省線』で通っていたのよ」との言葉に時代を感じさせられた。

厳しい祖父と祖母に育てられたおふくろであったが、女学校時代は、漏れ聞くところによると慶応のバスケット部のイケメンにお熱を上げたり、宝塚歌劇団月組男役スターである小夜福子の大ファンだったりと、なかなかにミーハーだったようである。

ブロマイドを集めていたのだろう、私が中学生のころ、家の物置にあったおふくろのタンスの一番上の引き出しの中に、そのブロマイドを発見したことがある。

教育に熱心だったおふくろからは想像もできない、「娘時代のおふくろ」を垣間見た。

※省線:電車は、日本国有鉄道になる前、鉄道省の時代には「省線」と呼ばれていた。