「三つ子の魂百までも」とでもいうのか、おふくろは私が物心ついてから、子どもの前でも感情を素直に表に出すことを憚(はばか)らなかった。
テレビで、エルビス・プレスリーのライブが放送されると、「素敵! しびれる!」と。そういえば、おふくろはジュリーにもお熱を上げていた。
晩年のおふくろが暮らしていたマンションの部屋には、大切で捨てられない品々が整理して取ってあった。その中に、八センチ×十センチほどの「UTA−NO −HON(Ⅰ)、(Ⅱ)」があった。
最初の唄は宝塚歌劇団の小夜福子の『遠き君を想う』。二曲目は『帰れソレントへ』。それから私の知っている曲は、『山の人気者』、『谷間の灯』『花売り娘』、『乾杯の唄』、『めんこい子馬』……。「松竹歌劇」なるものもあり、全四十九曲あった。
(II)を開くと「五十」から始まり小夜福子の『小雨の丘』、『峠の我が家』と続く。最後は七十三『君よ知るや南の国』で終わっている。
かわいいイラストの絵が表紙で、「K.H.(紀美子・原)」のイニシャルが書いてあった。几帳面な綺麗な字だった。おふくろがいろいろな書類を書いていた字は、若いころから変わらない。
おふくろが、「兄が竹久夢二の絵を複写している」と自慢げによく話していたが、おふくろも兄と同じ繊細なセンスが窺(うかが)える。
女学校時代から始めたテニスも一生涯の趣味となる。そんな幸せな家族に戦争の影が迫ってくる。

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