【前回の記事を読む】1946年4月3日に絞首判決を受けた、海軍中将だった祖父。当時記された遺書を読んで、私は愕然とした
第三章 土浦での新生活
土浦での新しい生活
祖母の静は熱心なクリスチャンで、子どもたちを教会の日曜学校に通わせていた。初代有一郎は青春時代、内村鑑三や新島襄、新渡戸稲造等の思想に共鳴し、前川教会に赴任してきた中村万作牧師の門を叩いたそうだ。
親子二代のクリスチャンというわけである。その縁か、昭和三(一九二八)年に新渡戸稲造が土浦に来た際に、奥井家を訪問したという。新渡戸稲造の膝の上に座る親父・誠一の記念写真は、我が家の家宝である。
当時の奥井家は、静おばあさんの兄弟の面倒をも見ていたので、経済的に恵まれておらず、教会が心の支えになっていたのだと思う。
静おばあちゃんは合理的で、当時の近代的な女性だった。キリスト教のミッションスクールである普蓮土学園で英語を学び、英語がとても堪能であった。女性にして、日本でも当時数少ない薬剤師の免許を持っていた。
土浦に外国人が来ると呼び出され、通訳を頼まれたという。ツェッペリンの飛行船が霞ケ浦に飛行したときにも、後の天皇陛下である明仁皇太子(現上皇)のご教育係のミス・ローズが土浦にいらしたときにも通訳を務めた、地元の「名士」であった※。
静おばあちゃんは結婚式の翌日に、すべてのお手伝いさんを解雇した。まるでおふくろに「これからは家事はあなたの仕事」と考えたようである。
それまでは、お手伝いさんが家事の切り盛りをしていた。おふくろの心中を考えると余りあるものがある。周囲も理不尽に感じたのであろう。