あるとき、親父の妹である幸子おばさんが静おばあちゃんに、「お母さんはなんで料理をつくらないの?」と聞いたところ、「薬局の調剤をやっているほうが性に合っているし、家事は苦手なの」という返事だったとか。おふくろは、家族の食事のみならず、お店の店員の食事をもつくった。
おふくろは、奥井薬局の手伝いも積極的に行った。奥井薬局は麻薬を扱っていたので、その管理は厳しいものであった。その麻薬管理帳の清書を、おふくろがしたそうだ。
奥井家の一軒置いた家は、山口薬局というライバル店であった。静おばあちゃんは「山口薬局に負けるな」と店員を叱咤(しった)激励していたとも聞く。「山口薬局より先に店を閉めるな」と。なかなかのビジネス・ウーマンだったことが推察される。
青山(目黒)の家では姉やがいて、お嬢様の生活を送っていたおふくろが、嫁いだ先の土浦では、大家族や店員の面倒まで見て、この大所帯を切り盛りすることになった。かまどや井戸水、風呂は離れにあり、浴槽へは井戸水から水を汲まなければならないし、もちろん薪で焚くのである。生活の激変である。
それでも耐え、乗り越えたのは、愛の力の所以であろう。あるいは、根っから明るい性格のおふくろは、新しい生活を楽しみにして心躍らせていたのかもしれない。
しかし当時の親父は東京で勤めていて、毎日蒸気機関で土浦から二時間をかけて東京の本郷に通うというわけにもいかず、月曜から土曜日までは東京本郷で下宿していたのであった。