「火中の栗を拾う」とは、猿が猫をおだてて熱い栗を拾わせる話だと聞いたことがある。
まさしく俺は先輩におだてられてここに連れてこられた猫だ。サークル仲間から聞いたって言ってたこともはったりに違いない。
ここまで来てしまったら、俺にNoの選択肢がないことは重々分かってはいたことだが、改めて覚悟を決めざるを得なかった。
陽葵(ひなた)は、俺が家庭教師として面倒を見る初めての生徒になる。両親はこの子に太陽のように明るく、あるいは向日葵のようにまっすぐという思いを込めて名付けたのであろう。
「先生こんにちはー」。
その一言で天真爛漫さが窺い知れる。もう断ることはできないのだろうか? そんなことが頭をよぎる。
能動的に断れないなら、親御さんか陽葵が「今回はちょっと……」と断ってくれるのを期待するしかない。そうだ、勉強を教える以前に初対面の親御さんが、俺のことを家庭教師として認めるかどうかだ。
俺の通っていた大学は、一流大学とは決して言えない。それに俺は秀才ではない。中学ではちらほら5をとってたものの、それも定期テスト前に猛勉強してやっととった5だ。高校は志望校に何とか引っ掛かった学力なので、5などとったことがない。
まぁその分どの教科のどの単元がつまずきやすいかを知っている。それが俺の強みと思ってはいる。家庭教師をするという心の準備があって引き受けるなら、その強みをアピールもするが、なにぶんことが急に運びすぎている。
誠先輩の事務所には、先輩が作った〝生徒カルテ〟というものがある。先輩がまず家庭訪問し、生徒の人となりや両親との関係が良好かどうか、生徒が今夢中になってるものは何か、果てはペットはいるかどうかまで詳細に記入したものだ。この〝生徒カルテ〟なるものがあることを道すがら先輩から聞いていた。
それは普通、家庭教師になる者が事前に事務所で見せてもらえるものであるらしいのに、何もかも急に進めるものだから、親御さんと対面している今になって俺に渡してくる。
一方、先輩は陽葵と両親を交互に見ながら俺が家庭教師としていかに有能か〝盛った話〟をし始める。