第3章 誕生日の謎
除籍謄本1によると多喜二の誕生日は明治36年(1903)12月1日です。12月5日に出生届が出され、その日のうちに受理されました。以前は明治36年(1903)10月13日というのが定説でした。
生みの親であるセキが言っていますし、おそらく母親から聞いたこととして多喜二自身も書いているので、そうなるのは当然のことです。
多喜二研究の第一人者であり地下生活の同志でもある手塚英孝の「小林多喜二2」に書かれており、ほとんどの書籍がこれを引用しています。この章では、なぜこれまでの定説と戸籍の表記が異なっているのかという謎を考察します。
「母の語る小林多喜二3」には「(多喜二の誕生日は)明治三十六年旧暦の八月二十三日です。当時私達の国では未だ旧暦を使って居りました。
戸籍には十二月一日となっているのですが、何彼の都合で遅く付けたのでしょう」とあります。多喜二は昭和6年(1931)1月22日に豊多摩刑務所から保釈出獄したすぐ後の1月25日に「年譜」を書きました。
その中で「母は旧暦八月二十三日だと云っているが、村役場の帳面には十二月一日となっている。ゴーゴリーの主人公になりそうな、この上もなくのんびりした村長さんでもいたらしい」とあります。
旧暦の明治36年8月23日は、新暦では同年10月13日に相当します。2人の主張はどちらも「新暦の10月13日に生まれたが、戸籍への登録が遅れたため12月1日になってしまった」というものです。
このように多喜二自身も実母セキも、多喜二の誕生日は新暦の10月13日だと言っています。それを覆す資料がない以上、今まで多喜二研究者らは誰も訂正することができなかったのでしょう。
1 戸主小林慶義の除籍謄本 昭和26年12月22日発行 下川沿村村長小林市司
2 手塚英孝『小林多喜二』 新日本出版社 2008年
3 小林セキ、小林廣、荻野富士夫『母の語る小林多喜二』 新日本出版社 2011年
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