はじめに

小林多喜二の存在は近現代史において大きな意義があります。

これまで文学面や思想面で多くの研究書が出されています。多喜二の人物像や取り巻く人々についても沢山書かれています。

しかしながら、それらは多喜二自身の記述や交友関係者からの聞き取りに基づくものがほとんどです。中には多喜二が創作した小説から推測したものさえあります。

これらの中には不正確だったり間違っているものもあります。たとえば多喜二の誕生日の件です。

これまでの定説では明治36 年(1903)10月13日とされていました。これは実の母親セキさんが言っているので仕方がないことではありました。

私は平成24年(2012)3月に秋田市で開催された秋田県多喜二祭50 周年記念「小林多喜二展」の時に、手元にあった曽祖父慶義(けいぎ)の除籍謄本を展示しました。当時の戸籍には戸主を中心としたすべての家族が記載されています。

この謄本によると多喜二は明治36 年(1903)12月1日の生まれです。12月5日に家族の届け出があって受理されました。

この戸籍のことが平成24年(2012)3月18日の秋田魁(さきがけ)新報に掲載されたことで、その後のネット・メディアでも多喜二の誕生日に関して12月1日と書かれることが増えました。