【前回の記事を読む】「便器のような形の陶器」がルーアンのホテルの部屋にあった。何に使うのかわからなかったが、実はそれは…
2 ジャンヌ・ダルク最後の地・古都ルーアン
⬥歴史と文化と食堂
観光ガイドの説明通り市の主要施設・観光名所は歩いて行ける範囲に収まっていた。滞在中によく行った施設と言えばルーアン市立美術館。立派な外観の建物で、学生証を見せればタダで入場できた。
印象派を中心に日本でも有名な画家の絵が多数展示されていた。古い話だがフランスの美術館では有名な絵画がよく盗難にあっていた。ルーブルのモナリザも盗まれたことがあるとのこと。当時のルーアン美術館も日本で有名な画家の絵が手で触れるぐらいの位置に無造作に掛けられていた。監視員もいなかった。
その他、モネが連作を書いたルーアン大聖堂、ジャンヌ・ダルクが処刑された場所に立つ聖ジャンヌ・ダルク教会、ジャンヌ・ダルクが幽閉されていた塔、ルーアン名物のグロゾロージュ(大時計)等を見て回った。いかにもフランスの街と感じられ、歩いているだけでうれしくなった。
2年間の滞在中、日曜や学校が休みの時、時間ができると大聖堂横の一軒のカフェに通った。当時のルーアンは日曜になると商店も閉まり、時間つぶしできる場所があまりなかった。
観光客の多い大聖堂周辺の店は観光客向けに日曜も営業していたが、私の通ったカフェは大聖堂の横側にあり、観光客より地元の客が多い感じの店だった。カフェに飽きたら菓子パン店(日本でいうデニッシュ類のみ売っている店)でパンオショコラ(クロワッサン生地に棒チョコを包んだ菓子パン)を買って食べながらセーヌ川右岸の旧市街をよく歩いた。
街の中は石畳みの歩道が多く、最初のころはすぐに足首が痛くなった。どくろの彫刻のある美術学校や骨董品街、彫刻や版画を置いてあるギャラリー等何回行ってもおもしろかった。
しかし、フランス語の会話がほとんどできないため、駅のキオスクやパン店で買ったスナックやパンぐらいしか食べていなかった。ホテルで勧められたのでルーアン右岸駅内の食堂(カンテーヌ)で夕食を食べることにした。
それから数日、学校に入学し、宿が決まり、マシュレイ夫妻と一緒に夕食を食べるようになるまではここで食べた。電車待ちの間に食事する人たち用の食堂のため、セルフ式だった。
自分で食器をプレートにのせ、欲しいと思う料理の前に行き、係員に指さすだけで皿に料理をのせてもらえた。それでも、日本ではあまり見かけない料理が多かったので、容易に味が推測できたビフテキフリット(硬いステーキとフレンチフライ)を毎日食べた。
大学の学食のように、料理をのせてもらったプレートを持ってレジで料金を払うのだが、レジ担当のおばちゃんに早口で金額のみ言われても聞き取れない。毎回レジをのぞき込んで金額を確認した。この食堂がなかったら食事すらできなかった。
帰国後、仕事や家族との旅行で何度もルーアンを再訪した。行くたびに駅の食堂と駅前ホテルを見ては最初にルーアンに着いた時のことを思い出している。フランスに着いた最初のころの私の仏語会話能力は本当に酷かった。