日野富子そして応仁の乱

第五代将軍には義持の息子義量(よしかず)が就任したが、就任後二年足らずの、十九歳で死亡した。その後十九年間で三代(第五・第六・第七)の将軍が入れ替わった。

第五代将軍義量は一年十一か月、第六代将軍義教は十二年、第七代将軍義勝は九か月の在位であった。

八代将軍には足利義政(引退後銀閣寺を建てた将軍)が八歳で就任した。

義政が成人となり、その妻に日野富子が来た。彼女の権勢欲、蓄財欲そして行動力には人並み外れたものがあった。

第一子は男子であったがすぐに死亡、その後三人女子の出産が続いたため、義政は僧籍に居た異母弟の義視を還俗させ、九代将軍に据えようとし、細川勝元を後見人とした。

ところがその直後(一四六五年)富子は男児を生んだ。

義尚(よしひさ)と名付けられ、後見人に山名宗全が選ばれた。

 

👉『本能寺の変と春日局』連載記事一覧はこちら

【イチオシ記事】夫の不倫現場に遭遇し、別れを切り出した夜…。「やめて!」 夫は人が変わったように無理やりキスをし、パジャマを脱がしてきて…

【注目記事】「いじわる…しないで下さい」…背中のフックを外され、左右とも指でなぞられた。口に含まれ舌で転がされると声が出てしまい…

 

ゴールドライフオンラインは、表現者を応援するウェブメディアです。
生身の人間が紡ぐリアルな言葉だからこそ、読者の心を揺さぶる力があると確信しています。
あなたも、"表現者"になってみませんか?
ゴールドライフオンライン編集部:glo_henshu@gentosha.co.jp