【前回の記事を読む】第1子は早逝し、女児が続いた足利義政は、異母弟を9代将軍の後継候補にした…ところがその直後、妻の日野富子は男児を産み……我が子を将軍職に就かせたい富子の工作が始まる。その工作が、将軍候補者義視の後見人細川勝元と、義尚の後見人山名宗全との幕府管領間の対立を生み、戦争となった。更に、幕府管領職の畠山家と斯波家の争いも同時に発生し、四派それぞれが、全国の支配下の武士団を京に応援とし…
徳川家康の記事一覧
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歴史・地理『本能寺の変と春日局』【第2回】山城 利躬
8歳の我が子を将軍に――母・富子の“親心”は幕府を二分する争いの火種に…戦で京が灰に還る中、争う両陣営に軍資金を貸し付けはじめ…
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歴史・地理『本能寺の変と春日局』【新連載】山城 利躬
第1子は早逝し、女児が続いた足利義政は、異母弟を9代将軍の後継候補にした…ところがその直後、妻の日野富子は男児を産み……
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歴史・地理『我が陣営にあるべし』【最終回】林口 宏
【石ケ瀬の戦い】家康勢は討ち取った47の首を吊るして並べ、この戦果をさらすことにした。
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歴史・地理『我が陣営にあるべし』【第9回】林口 宏
今川・松平元康(徳川家康)勢と激しく戦ってきた織田方・水野信元が、敵に対してとったまさかの行動とは
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歴史・地理『我が陣営にあるべし』【第8回】林口 宏
16歳で戦場に立ち、敵の首を取った少年武将——桶狭間の戦いに名を刻んだ水野太郎作清久と、丸根砦で散った片山勝高の真実
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歴史・地理『我が陣営にあるべし』【第7回】林口 宏
信長が称賛した、戦国武将の行動は?…敵の首を獲るところで、あえて自分では獲らず…
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歴史・地理『我が陣営にあるべし』【第6回】林口 宏
武士の歴史はお墓や古文書だけじゃない。お寺の過去帳が語る記録―信光寺に伝わる記録を元に、知られざる戦国の物語をたどる―
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歴史・地理『我が陣営にあるべし』【第5回】林口 宏
慈悲の心がなく家臣に情けをかけることもなかった松平信忠。本当に家臣の片山忠正を手討ちにしたのだろうか?
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歴史・地理『我が陣営にあるべし』【第4回】林口 宏
菊池一族の末裔・片山忠光・忠正親子が肥後から三河へ――吉良家から松平家へと仕えた南北朝から戦国の動乱を辿る
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歴史・地理『我が陣営にあるべし』【第3回】林口 宏
時は明応、五百年前。三河の鷲塚村で西条吉良家に仕えた片山家は、数多の戦で名を挙げた。新田義貞公の家紋も掲げたその勇姿――
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歴史・地理『我が陣営にあるべし』【第2回】林口 宏
蓮如の布教以後、浄土真宗一色に塗りつぶされていった「真宗王国」矢作川流域。この地を治めたのは、徳川家康の祖先である松平氏で…
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歴史・地理『我が陣営にあるべし』【新連載】林口 宏
徳川家康・天下太平の影に三河牢人!? …300年以上続く「徳川家」「水野家」の協力関係、その始まりの言葉が「我が陣営にあるべし」