2.そして私は、土建屋に入った。

何でも、免停になった社長が、運転手のアルバイトを探しているという。私は取得したばかりだったが、何とか車の免許は、持っていた。この県では、交通事情の悪さもあって、私のように25歳にもなって免許証を持っていない男は珍しかったので、自分より年下の看護師に揶揄われたのが癪で、退院すると、即、自動車教習所に通い始めたのだった。

しかし、無論、人の運転手になる自信はない。ただ、五十歳を越えた会社の社長が、酔っ払い運転でT字路をそのまま民家に突っ込み、即、免停になったという話が私の関心を引いた。

私がそれまで知っていたいい年をした大人がするとは思えない、このエピソードが、不自然極まりない「意志と努力」の生活に悲鳴をまた上げ始めた私の心をざわつかせたのだろう。

運転手は無理だが、会ってみたいと思い、出来たら繰り返し出てくるイメージ通り「健康的な」肉体労働のアルバイトをさせてもらえないかと思ったのだった。

そしてT市西部にある、熊沢建設の事務所で、当時52、3歳だった社長に会ったのだが、白髪大頭で大柄で大声だった。

二時間ほど、社長が思いつくまま、殆ど一人で喋っていたのだろうが、今、覚えている話は、社長が土建業を始める前に勤めていた、Dというイギリスの商社時代のエピソードだった。

まだ役職もない若いころ、Dの積み荷を載せた大型船が三艘、東京湾に着いたのだが、折悪しく、その時伊勢湾台風が、日本列島に上陸しようとしていたところだった。

そこで社長は、先ず経理を脅し、潤沢な現金を引き出すと、東京中の運送屋に電話をかけ、大型トラックを集結させ、三日三晩寝ずに指示し、とうとうすべての積み荷を無傷で救った。

その功績で、イギリス本国からCEOが、やってきて、日本支社の全従業員の前で、表彰され、以来、当時物議をかもしていた人物にあやかって「熊沢天皇」と呼ばれるようになったという。

次回更新は6月1日(月)、11時の予定です。

 

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