編纂者たちはなぜ年表②を手掛けたのか
ところで、こうして姿を現した、第二の基準年に依拠して作成された右側の年表②である。これはどのように受け止めればいいのであろうか。
実際の『日本書紀』に年表は付されていないが、『日本書紀』を読み進めていけば第一の基準年に依拠した年表①が出来上がるのである。
恐らく、『日本書紀』が成立した当時には、百済記関連の記事が百二十年もさかのぼっていることに気付く読者は居なかったに違いない。
また、疑問を持ったとしても、神功皇后の三韓征伐や、歴代天皇の中にも常識を超える長寿と長期在位期間を持つ天皇があることなどを合わせ考えればそのまま見過ごされたに違いない。
つまり当時としては、左側の年表①の内容は、正当なものと受け止められていたはずなのである。
事実、今日に至るも、『日本書紀』の関連年表は、この年表①が主流であり本流となっているのである。