【前回記事を読む】看護師に言われたのは『こんな大人しい赤ちゃん、珍しいです』…初産ですごく怖かった。しかし、産まれてきた子は…
第十一章 秋の深まり
季節は巡り、また秋が来た。
北海道旅行から1年が経っていた。あの時見たラベンダー畑、青い池、小樽運河。母はまだ覚えているだろうか。
「お母さん、去年の今頃、北海道に行ったの覚えてる?」
夕食後、私は何気なく聞いてみた。
母は首を傾げた。
「北海道……?」
「うん。ラベンダーを見に行ったでしょ」
「ラベンダー……」
母は記憶をたどるように目を閉じた。
「紫色の……きれいな……」
「そう、そう。ファーム富田っていう農園に行ったんだよ」
「ああ……そうだったかしら……」
母の記憶は曖昧だった。私は立ち上がって、アルバムを持ってきた。
「これ、その時の写真だよ」
アルバムを開いて、母に見せた。ラベンダー畑を背景に、二人で笑っている写真。
「まあ……」
母は写真を見て、目を見開いた。
「これ、私?」
「そうだよ。お母さんと私」
「きれいな場所ね……」
母は写真を見つめながら、 少しずつ記憶を呼び起こしているようだった。
「ラベンダー……いい香りがしたわね……」
「うん、すごくいい香りだったね」
「ソフトクリームを食べたような……」
「食べた、食べた。ラベンダー味のソフトクリーム」
母の顔に、少しずつ笑みが浮かんできた。
「思い出してきたわ。楽しかった……とても楽しかった……」
私は嬉しくなった。記憶は薄れていても、完全に消えてはいない。きっかけがあれば、呼び起こすことができる。
「また行こうか」
「えっ?」
「北海道。また行こうよ」
母は驚いた顔をした。
「また行けるの?」
「行けるよ。お母さんが行きたいなら」
母は少し考えて、嬉しそうに頷いた。
「行きたい。また見たいわ、ラベンダー」
「じゃあ、来年の夏に計画しようね」
「約束よ」
母は私の手を握った。その手は、以前より少し力が弱くなっていたけれど、温かかった。