【前回記事を読む】症状が進む母のために、ガスコンロをIHに交換した…玄関は二重ロックを設置し、1人で外出させないようにした。
第九章 新たな日常
デイサービスに通い始めてから、 母の表情が明るくなったように感じた。
家に閉じこもっているよりも、外に出て人と交流することが、母にとって良い刺激になっているようだった。デイサービスで習った歌を、家でも口ずさんでいることがあった。
「今日はね、折り紙で鶴を作ったのよ」
ある日、母が嬉しそうに折り紙の鶴を見せてくれた。少し不格好だったが、一生懸命作ったのが伝わってきた。
「上手だね」
「本当? 昔は得意だったんだけど、 久しぶりにやったら難しかったわ」
「練習すればまた上手になるよ」
「そうね。明日も作ってみようかしら」
母は楽しそうだった。その姿を見て、私も嬉しくなった。
しかし、すべてが順調だったわけではない。
ある夜、私が寝ていると、物音で目が覚めた。時計を見ると、午前2時過ぎだった。音はリビングから聞こえてきた。私は不審に思い、起き上がった。
リビングに行くと、母が立っていた。パジャマ姿で、コートを羽織っている。
「お母さん、どうしたの?」
「恵美、お父さんが呼んでるの」
母の目は、どこか虚ろだった。
「お父さん?」
「そう。外で待ってるの。迎えに来てくれたの」
私の背筋に、冷たいものが走った。
「お母さん、お父さんはもういないよ。5年前に亡くなったでしょう」
「何言ってるの。さっき声が聞こえたわ。『おーい、待ってるぞ』 って」
母は玄関に向かおうとした。私は慌てて母を止めた。
「お母さん、今は夜中の2時だよ。外は暗いし、寒いよ。お父さんはいないよ」
「でも……」
「お父さんはね、もう天国にいるの。だから、迎えには来ないの」
母は混乱した表情を浮かべていた。
「天国……?」
「そう。お母さん、夢を見てたんだよ。お父さんの夢を見て、本当にいると思っちゃったんだね」
母は黙っていた。そして、少しずつ目の焦点が戻ってきた。
「夢……?」
「うん。大丈夫、夢だよ。もう一度寝ようね」
私は母を寝室に連れて行った。布団に入れて、背中をさすった。
「ごめんなさいね、恵美。変なことして」
「いいの。大丈夫だよ」
「お父さん、夢に出てきたの。すごくリアルだった」
「お父さんに会いたいんだね」
「……うん」
母の目から涙がこぼれた。
「会いたい。もう一度、話がしたい」
私は母を抱きしめた。
「いつか会えるよ。でも、まだその時じゃない。私と一緒に、もう少しここにいてね」
母は泣きながら頷いた。私も涙をこらえながら、母の背中をさすり続けた。