私たちはその日、よけいなお喋りは一切しなかった。彼はただ本を読み、私は気の向くままピアノを弾いていた。
「それから彼と親しくなっていったのね?」
カウンセラーがささやいた。
「はい。あんなに得体の知れない不穏を感じ身構えて緊張していたはずなのに、その感覚がまったくなくなりました。すっと心の中に入り込んできた感じです」
ネコニャは、ほんの少しだけ自分のことも話した。本当は十八歳であること、読書が大好きだということなどだった。
私の目の中には、白いコットンシャツを着た彼の胸だけが見えていた。私は風になって、隙あらばシャツの中に忍び込もうとしていた。
「入りたい」
私は思わずつぶやいた。
「え?」
「あの胸に、頬を押しつけたい」
「それは今の感情なのかしら? 今もそう思っているの?」
「今? 違います。今の感情ではないようです。……憧れ? そんな感じ。ああ。これはあのときの私の感情だわ。まだ手が届かなかったときの、私の憧れだわ」
それは片思いの感情と同じだった。ひきつるような身勝手な欲望が私の中に生まれ、その願望がいつも視線をネコニャの胸の中へ忍び込ませるのだった。
触れたい。抱きしめたい。彼の背中に指を這わせたい。唇で胸に触れてみたい。
衝動的にそう思う自分を、私は無表情で隠し続けた。
「憧れるほど、私の顔から表情がなくなっていくのが解るんです」