「ちょっと待ってよ!」

僕はたしかに、前園さんを引き止めようとした。けれど、それが引き金だったようだ。こちらに顔を向けた前園さんは、これまでに見たこともない怖い顔をしていた。明るい彼女からは想像できないような、きっと誰も見たことがない表情だ。

「ちょっと待ってってなに?」

「あ、いや……違くて」

「なにがどう違うの?」

「僕はそんなつもりじゃ……」

「だから?」

明らかに不機嫌な前園さんは、徐々に語気も強くなってきている。僕が弁明しようと口を開けば開くほど、彼女の表情もまた曇っていく。

「あんたさ、自分の中で整理できてないんじゃないの? その子のところに行ってなにがしたいの? 謝りたいって言うけど、それはなんで? 一時の感情と衝動に任せてるからこうなるんじゃないの?」

前園さんから、あんたなどと呼ばれたのは初めてだ。前園さんは僕の目を睨みつけたまま続ける。

「私からしたら、なんだかずっと逃げてるみたいに聞こえる。その子に会いたいなら、もっと他に行動はあったと思うけど。相手のお母さんがなんなの? それでも会わせてくださいって引き下がった? 

インターホンもう一回押した? 頭下げた? 土下座した? 反省の言葉を口にした? あんたは、なにもしてないんじゃないの? 家まで行ったのに、そういう行動ができないとは、私には思えない。

そうやって人の行動に振り回されて、いちいち情緒かき乱されて、人に相談して、アドバイスもらって、逆ギレってなに? あんたはさ、ずっと自分が大切なんだよ。可愛いんだよ。たいそう立派なことだと思うけどね。今じゃないでしょ。それじゃあ、ただのプライドが高い臆病な男だよ」

前園さんは一息で捲し立てた。まるでセリフのように流暢に出てくる僕の特徴は、僕の自己肯定感を下げるのに十分だった。

その証拠にぐうの音も出ないどころか、僕はひどく冷たい海に浸っているかのように、心がひんやりしていくのを感じた。

「どうしたらいい?とか訊かないでね」

前園さんはこれ以上僕と話したくないようで、一方的に吐き捨てると、そのまま店を出ていった。

しばらく放心状態になって、窓の外を眺める。当たり前に人も車も動いている。僕が人を怒らせるような人間であることも、彼女が腹を立てることも当たり前のことなのだ。思考を放棄している脳を無理やりに働かせ、自分の言動を振り返る。

次回更新は4月21日(火)、11時の予定です。

 

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