二、岩崎信男

きょうは胸の高まりは全くない。当然だ。

花楽亭喜之介の前の席に座っているのは、ホンマに普通のオッサン。全く緊張などしない。緊張という言葉を忘れてしまったようだ。

きのうに続いて同じレトロ喫茶の同じ席に陣取り、弟子入り面接の第二弾。

「岩崎信男と申します。どうぞよろしくお願いします」

岩崎は手慣れた営業マンのような話し方で挨拶した。

「あ、ハイ。こちらこそ」

周囲から見たら、何か仕事の打ち合わせをしているように見えるのだろう。最初に名刺交換でもしていたらまさに商談そのものか。喜之介はそう思いながら、改めて岩崎を観察する。

二度目に見る岩崎は小太りのままだ。当たり前か。細い目に少し愛嬌が感じられたが、これがホンマに自分より十歳も年下の男か。

そういう思いが上回ったところで、まずは年齢確認をしようと思った。

「履歴書は持ってきていただけました?」年下だが、つい敬語になる。

「ハイ、これです」

渡された履歴書の生年月日を確認する。

確かに喜之介より十年遅い生まれだ。四十三歳。

やっぱり、そうやねんなあ。心中でため息を漏らす。

「あのう、師匠、ウソは書いてませんよ」

喜之介の疑問を察した岩崎がそう言った。

「昔から、私、老け顔でしてね。高校生の時に『お子さんは何人おられるんですか?』って聞かれたことがあるんですよ。ハハハ、大笑い」

そんなエピソードはどうでも良かった。

運転免許証か健康保険証を見て、年齢を確認することも考えたが、そこまでする必要はないと判断した。こういう老けた四十三歳なんだ。そう思って年齢に関しては自分を納得させた。

職業欄には公務員と書いてあった。

「これはどういう関係の?」

「市役所です。市役所に勤めてます。仕事の中身は……」

そこまで詳しく聞いても仕方がないと思い、次の話題に移った。

「じゃあ、ちょっとお話を聞かせてもらいます」

「ハイ。何でも聞いてください」

「そもそも、四十歳を超えて、何で、また、落語家になろうと」

思ったんですか? という声を聞く前に岩崎は話し出した。

「さあ、それなんですよ。私も自分で驚いてるくらいでしてね。もちろん、落語は子供の頃から大好きでした。父親が落語好きやったもんですから、落語会に何度も連れていかれまして、それで幼くして落語の魅力に取りつかれました。

そのうち、いくつかネタを覚えて、小学校のお楽しみ会で披露したのが、私の落語家デビューです。『道具屋』をやりましたんですけど、これがまあ、ようウケましてね。そこからは落語一直線。中学、高校、大学と落語、落語の日々ですわ。一番、がんばってたのが、やっぱり、大学の時ですかねえ。

オチケンの会長もさせてもろてましたんでね。当時、関西では、そこそこ名の売れた存在だったんですよ。持ちネタも五十以上ありましたしね。私の高座を目当てに来てくれるファンみたいなものもおったんです。ちょっと自慢になりますけど」

よう喋るなあ。喜之介は相槌すら打つ間もない。

このままでは、岩崎の話を何時間も聞き続けることになると思ったので、何とか隙を見つけて入り込み、どうして四十歳を超えて落語家になろうと思ったのかという最初の質問の答えを引き出した。

結局のところは……大学卒業時にもプロの落語家になろうかと相当迷ったが、絶対にやっていける自信よりも不安が上回り、市役所に就職した。そこからは、ごく普通の社会人生活を送り、落語はもっぱら聴くほうに終始していたが、最近、そんな自分の人生を問い直す出来事があったという。

試し読み連載は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

 

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