こうした創発型コミュニティが地域にいくつもつくられ、短期的&長期的なプロジェクトのように、メンバーの集散がアメーバのように繰りひろげられたようだ。

興味深いのは、ある旗本は別名で狂歌をつくり、また違う名前で物書きをするなど、ひとりの個人がいくつもの「連」「会」などに所属し、社会の中で定められた身分だけでなく、制度を外れた組織でも、アバターのように多彩な活動をしていた点。

■「講」は、もともと仏教の布教をするための集まりだったが、神社仏閣巡り(例えばお伊勢参り)がひろがると共に「旅行サークル」のような物見遊山の実態となり、さらに地域では料理教室や互助会のような活動も加えていった。

ネイビーは自分のメモから目線を外し、洋梨をほおばる世耕さんを見た。

「僕はずっと、江戸時代というものは、生まれた土地や階級制度に縛られて、お上の圧政と飢饉と百姓一揆ばかりの硬直した社会だと思っていたんですよ。暴れん坊将軍と必殺仕置き人だけが救いみたいな。ところが世耕さん、武士や僧侶から農民、町人まで、かなり管理システムから外れて、あれこれ動き回っていたんですね」

「そのようですね。江戸経済の中心は武士の禄高、つまり租税となるお米ですが、後期にかけては、農家では木綿、菜種油、和紙や蝋とか、兼業も進んだらしい。疫病や災害には弱かっただろうけれど、経済システムは鎖国の中で、そこそこ成熟もあったんでしょう。

ただ、一揆は多かった。一揆の相手は、100%お上が悪いというわけではなく、金貸しに対する不満も強かったらしいです。