【前回記事を読む】江戸時代の私塾では、武士や農民、男女などの身分は関係なく学べた!? 活動内容も現在の学校を比べて、きわめて柔軟で…

第五章 我々は、なにを学び、どこへ行くのか

江戸時代の私塾、連・講

私が日本という〈場〉について想う、夢物語を聴いてください。

ここはもともと、世界中からヒトやモノが流れ着いてくる大陸の端っこです。中国や朝鮮半島だけでなく、シベリアからも南方の海の道からも、さまざまな流れ着きがあったんでしょう。

以前から棲むひと、新たに来たひと……われわれの多様な祖先は、あまりにも大量に外から変わったものがたどり着いてくるのを排除せず、むしろ目をキラキラさせて取り入れてきたんじゃないでしょうか。

しかもこの地には、金・銀・銅・鉄、それにきれいな水や豊かな森林という資源があった。

渡来した腕の立つ職人さんたちから見れば、原材料を大陸へと輸入するより、こちら側に来てしまい、故郷では出会わなかったような面白いひとたちとモノづくりを楽しむのもいいかな、という発想も出てきたのではないか。

そうそう、イタリア人のシェフが日本の発酵技術に感動して、こちらで店を開くような感じですよ。

古代の日本には、豊富な資源と、インターナショナルなテクノロジーが結びついたコミュニティが、たくさんあった。当時発達していたお隣の文明に比べて、出遅れていたこの地域に、まるで新しいユートピアをつくるような熱気が、そこかしこに芽吹いたのではないか。

私たちの体内には、いまだに強い好奇心の遺伝子が眠っているような気がするんです。それは昭和の高度成長期ぐらいまでは、目覚めていた。まだ、ギリギリ、失くしていないはずです。

「国という概念や境界は、あまり気にされていなかったのでしょうか?」

「気にされはじめたキッカケは、たぶん、外圧じゃないかな」

日本列島の中には、雑多にたくさんのリーダーがいたんだと思います。なかにはもちろん、渡来のローカルトップもいたでしょう。

ところが、困った問題が起きてくる。日本を外部から〈国〉として見た場合、たとえば、大陸や半島から交渉者が九州に着く、山陰に着く、紀伊に着くと、どうも場所や首長ごとに言うことが違う。

幕末のような感じでしょうか。この国との交渉は、朝廷にすればいいのか、幕府にすればいいのか、それとも薩摩や長州とすればいいのか、わからないような状態です。

それならいっそのこと、対外的統合マネジメントをつくりましょう。そうしてマンションの自治会や生活協同組合のように、大和朝廷というブランド・ガバナンスが生まれたのではないか……わはは! 乱暴ですかね?

強制的な往来や、権力争いといった悲劇もたくさんあったでしょうが、私はポジティブに、この国は働き学ぶ〈楽しさ〉を、古来から大切にしていたような妄想をしています。