【前回の記事を読む】立派な石垣が連なる風情豊かな旧道。そこは安土城の石垣を積んだ石積のプロ集団・穴太衆の古里

5〜8日目
小野妹子の墓から砂浜の湖岸へ

歩き旅6 2月4日(土) 6日目
小野―和邇―蓬莱 18,506歩

今日は友人で小野駅近くに住む知人のIさんに同行してもらう事にした。小野駅で無事待ち合わせ、Iさんの近所を案内してもらい、次に小野妹子の墓にのぼった。周辺は大規模な住宅開発が行われ新しい家が建ち並んでいる。

小野駅はJR湖西線の駅だが、この団地は関西私鉄の京阪電車が開発した。それも20~30 年くらい前の事だ。その中にかなり大きな山地があり、小野妹子神社がある。そのご神体は小野妹子の墓の唐臼山(からうすやま)古墳だ。少し大き目の石が折り重なっている。

小野妹子は遣隋使で「日出処天子」(ひいいずるところのてんし)と書いた国書を出して隋の皇帝が立腹した事が有名である。飛鳥時代に推古天皇、聖徳太子に仕えたと云われている。

近くには小野篁(たかむら)神社もある。小野篁は平安初期の公卿(くぎょう)で834年に遣唐副使になったが結局渡唐しなかった。

〝わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟〟 
の百人一首の歌が有名である。

大津市の作った標識には小野小町の何かがあるように書いてあったが行かなかった。小野小町はこの小野の地とは関係なさそうである。日本各地で小野小町の出生地が争われているのだから。小野篁の孫であるとの説があるためだろうが秋田の出身ではないかという事で新幹線の列車の名称こまちにもなっている。どこでも有名人の出生地になりたがり、それを利用する。

新しい家並みの後は旧い街並を歩く。ここは〝わに〟和邇といい旧い謂れがあるような地名である。

和邇(わに)は昔話にある因幡(いなば)の白兎に出てくる和邇と同じ漢字で、何か古代に関係があるようにも思える。因幡の白兎はワニに皮をむかれたところに大國主の命が通り掛って蒲の穂にくるまるように言われ、その通りにしたら傷が治ったと云う話である。この話は神話の世界だが何かの歴史を語っているかのようにも見える。

和邇の街は旧い家並が残っていて落ち着いた雰囲気がある。よく手入れされた庭も多い。人の手が入っている感じだ。

そのあと湖畔に出た所にある和邇の浜は夏は水泳客で賑わうのだろうかそれらしき看板がある。しかし今は冬、人っ子一人いない。

ヨットハーバーやボートの基地等を通って国道に出る。

やっと見つけたハンバーガーの移動販売車で昼食にありついた。

あと少し歩くと蓬莱駅だった。駅についてみると比良山が思ったより間近で、見上げる様な高さだった。今年は雪が多く蓬莱山が白く大きく近くに輝いて見える。