猿の調略と墨俣一夜城

◆永禄四年(1561年)

信長は、

「ほう、さすが、やるな。猿、いや藤吉郎、よくやったぞ。褒めてつかわす。……されど、どこに築城するが一番適切かの? 誰でもよい、意見はあるか、意見のあるものは述べてみよ」

多くの重鎮、家臣に率直に聞いた。信長の質問に誰も応えないでいると。またもや藤吉郎は末席から進言した。

「長良川に沿った場所に築城するのが良いかと存じます。更には、大垣あたりが最良かと存じます。

私の意見は、引き抜いた美濃衆の坪内・大沢の意見とも一致しており申す。敵の本館(ほんかん)、出城も近く、地の利もあります」

「ほう、そうか。それで大垣か?」

更に、「墨俣(すのまた)あたりでは、いかがでしょうか?」と藤吉郎は聞いた。

信長は、広い真新しい天守に居並ぶ重鎮を見渡しながら言った。

「そうだな。藤吉郎の言うとおり、墨俣に急ぎ築城し、美濃攻略の足掛かりにしようぞ。誰か希望者は居るか?」

しかし誰も発言しない。

「今回の築城は、佐久間と柴田らに任せてみよう。重鎮のそちら2人で早々に築城せよ。権六、よいな判ったか?」

信長は眼光鋭い目で2人を睨みながら述べた。

「は、早々に築城してご覧にいれます」と柴田は豪語した。

「ご一同、それでよいか? では、それで行こう」

こうして軍議は散会となった。